073:煙
073:煙









その頃オレは、有頂天だった。

若手棋士の中でも飛び抜けていて、内外から塔矢アキラのライバルと認められて、
可愛い女の子が寄ってきて「ファンです」とか言ってくれたりして。
花見の後なだれ込んだ宴会でも和谷に、とびきりキレイな子がオレに興味持ってるから
紹介してやるとか言われて。

人生絶好調!


ほろ酔いのいい気分で午前様。
家に帰ってくると家族はもう寝ていて、電話の所に一枚のファックスが来ていた。


『訃報』


太字で始まったその紙は、塔矢アキラが死んだという知らせだった。








『・・・享年17歳』


17になって、まだ四ヶ月と、ちょっと・・・。


『・・・謹んでご冥福をお祈りします。なお、通夜・告別式の日程は下記の通り・・・』


死因は書いてなかった。
先週会ったばかりだから、急な事なんだろう。
事故か、心臓発作か。




まず浮かんだ感想は、「へえ。」だった。
取り敢えず、それしか浮かばない。

ファックス紙を手に持ったまま冷蔵庫を開けて冷えたお茶を取りだし、コップに注いで、椅子に座る。
もう一度最初から読んだ。


『訃報』


変わらない文字。
ワープロの、そっけないゴシック体。

これが来たからには、やっぱ通夜とか行かなきゃならないんだろうか。
オレ、喪服なんて持ってねえよ。
中学の学生服着ていく訳にもいかないし。

手持ちの黒い服を思い浮かべてみるが、襟のあるあのシャツは・・・半袖だったか。
Tシャツはまずいだろうなぁ。
下はスーツのパンツでいいかな。

塔矢どんな格好して行くんだろう。
アイツならこんな時困んないんだろうなぁ。
ダサい服と正装には不自由してなさそうだ。

と普通に思ってから、ああ、その塔矢が、死んだんだ、と気が付いた。





塔矢と、個人的に仲がいいかと言えば疑わしい。
そりゃ和谷や伊角さんの方が仲がいい。
院生時代からの付き合いだし。

ああ、でも付き合いの長さから言えば塔矢の方がもっと長いか。

最初に会ったのは小学生の時で、オレが初めて石を持って打った相手だ。
正確に言えば相手はオレじゃないんだけど。

でも、アイツがいなきゃ絶対に碁のプロになんかなってなかった。
なったとしても、それはオレじゃなくて佐為だ。
そしたら、まだ佐為はいたのかな・・・。

ある意味恩人。
ある意味、敵。


とにかく、アイツがあの目で追いかけて来なければ、オレは碁を始めなかった。
とにかく、どうしてもアイツを負かしてやるんだ、って思ってた。




初めて実力で勝った時は嬉しかったなあ・・・。
塔矢センセイの碁会所だったか。
「ありません。」って頭下げられても何だか嘘みたいで、現実感がなくて。
幻聴のような気がしてしばらく次の手を考えてた。


「・・・進藤?」

「あ、ああ!ありがとうございました。」

「ありがとうございました。」


その時の塔矢の声音も、表情も、鮮明に覚えている。
最初の印象があって泣くかと思ったが、塔矢は泣かなかった。
来るときが来た、といった平静な顔だった。



オレも、いつか来るとは思っていた。
でも


  昨日今日とは思はざりしを


中学で習ったか、忘れていた筈のそんな句が思い浮かぶ。
本当に、こんな日が来るなんて。

こんなに早く。


  いつか行く 道とはかねて聞きしかど

  昨日今日とは思はざりしを


まさか今日勝てるなんて。
そう思って呆然とした。




いや、違う。
呆然としてるのは今だ。


いつか、オレが死ぬか塔矢が死ぬか。
そんな日が来るはずではあったけれど。

こんなに早く。


  昨日今日とは思はざりしを。


そんな、早すぎるじゃないか。
オレ達はこれから何十年も生きて何千局も打つ筈だったんじゃないのか・・・。


今気づいたように、オレは驚愕する。


ざー・・・っと降り始めた雨。
明後日、いやもう明日の葬儀は、きっと涙雨。
桜の花を、散らす雨。


・・・あの鋭い目がもう開かれる事がないなんて。


だって、これから、じゃん。オレ達は。


あの白い肌が。
あの綺麗な黒い髪が。

あの、碁だけに捧げられてきた、
沢山の凄まじい対局の記録を残した、美しい頭脳が。

明日にはみんな煙になってしまうだなんて。



嘘だろ?



熱い。
熱い。


頬が熱く、オレは気が付けば訃報を握りしめて台所のテーブルに突っ伏して泣いていた。










それからどうしたのか。
オレは台所で寝てしまったらしい。

朝になって目が覚めて、水を一杯飲んで洗面所に行くと酷い顔だった。
外ではちゅんちゅんと雀がうるさく、雨上がりの空は痛い程晴れていた。

顔を洗って、なんで母さん起きてこないんだと思えば、今日は日曜日だ。


一晩泣いてまた「喪服どうしよう」という思考に戻り、
重い足を引きずって電話に向かう。
取り敢えず、塔矢の家に。
何て言っていいか分からないけど。
取り敢えず。


プルルルルル・・・・。

かちゃ。



「はい。塔矢です。」

「・・・・・・。」





・・・・・・・・・・え?


「・・・と・・・塔矢?」

「進藤か。どうしたんだこんなに早く。」


え?オレ夢見てる?
でも手にはまだファックスが握られている。


「あの、おまえ、生きてるの?」

「・・・・・・何を言っているんだ。寝ぼけているなら切るぞ。」

「や!待って!ちょっと会いたいんだけど、」

「は?」

「今すぐそっちに行く!そだ、おまえん家の近所の公園!あそこに来てくれ。」

「・・・せめて朝食後ではいけないのか。」

「ダメ!今すぐ。」

「急用なんだな?・・・なら、そうだな。30分後にあの公園で待ってる。」

「頼む!」




オレは昨日の服もそのままに全速力で自転車を漕ぎ、20分後に早朝の公園に到着した。

塔矢が来るまでの5分が、長かった長かった。


そして入り口に塔矢の姿が見えた途端に駆け寄って


「塔矢!」


全力で、抱きついた。


「わ!な、何をするんだ!」

「塔矢・・・!」

「離せっ!この、」


塔矢がオレの腕の中でもがいている。
嬉しくて、嬉しくて。

煙じゃない。

生きてる。
塔矢、生きてる。

生きてる、かけがえのないオレのライバル。
これからも、何千局も打てる。




犬の散歩をしている人に不審な目を向けられるまで、オレは塔矢を離さなかった。
まだ怒り狂っているのに、皺だらけのファックスを見せる。

目を通した塔矢はまた頭から湯気を出しそうに怒った。


「悪趣味な!冗談が過ぎる。」

「そうだよな。でも、オレこれ読んで本当に、」

「キミもキミだ!」

「へ?」

「この日付を見て気付け!」


指さされた紙の右上には、


  04/01  00:15



「・・・エイプリル・フール・・・・・・。」

「いかにもキミの友人が考えつきそうな悪戯だ。」


誰だっっっ!

でもよく見たら、差し出し人は、昨夜の居酒屋・・・。
昨日のメンバーの誰かか!
そういやみんな酔っぱらってたもんな。
ノートPCいじくってる奴もいた。
オレが帰った後、ますます悪ノリして悪戯してやろうって話になったのかも知れない。

くっそー!昨日のメンバー、次に会ったら一発ずつ殴ってやる!




・・・と思ったけど、まあ、いいか・・・。

だって、まだオレは塔矢の手を握っていて、
塔矢はそれを振り払えず、赤い顔をしている。
こんな状況、このファックスがなければ有り得ない。

煙になってしまわなかった白い手を、またぎゅっと握りしめる。


「いい加減、手を離せ!」


また怒鳴られる。
でも、嬉しい。


「嫌だ。」

「何だと?」

「オレ、おまえが好きだ。」

「!?」


塔矢が固まる。
呆けたように目を見開く。


「・・・だから、死なないでくれ。」

「・・・・・・。」

「オレが死ぬまで生きて、オレと打ち続けてくれ。」




戸惑ったような顔。
困ったような顔。

そして、また怒った顔。




「・・・か・・・勝手な事言うな!」

「塔矢。」

「そんな、死ぬ時期がコントロール出来るわけないだろう!
 それにそんな事が出来るなら、キミこそボクより早く死ぬな!」




晴れ渡った空。
雨に洗われて清浄な空気の早朝の公園に、何度目かの怒号が響きわたる。

そのセリフ、結構恥ずかしいんだけど?





オレは笑いながら散りそびれた桜の下、

また怒鳴り声を覚悟してもう一度塔矢を、抱きしめた。








−了−





※フォモ未満。でももうそろそろ。
  「リボルバー」の感想(あらすじ?)を書いている時に思いつきました。

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