072:喫水線
072:喫水線






こんな夢を見た。





乳白色の霧の中を、小舟でゆっくり漕いで行く。
櫂を持っているのは進藤だ。


水面を滑るように。
水を掻いた時にだけ微かな水音とギギ、と木の軋む音が響く。


舟が進む度、大量の水分を含んだ、しかし清冽な空気が顔に当たり
僕はくつろいだ姿勢のまま大きく深呼吸をする。


静かだ。


白い闇に二人で閉じこめられたようだ。
このまま何処へ行くのだろう。
何処へも行きたくない。漕ぎ続けていたい。






しかしやがて霧が晴れ、遂に小舟はどこかの岸に乗り付けてしまう。
深い緑の、森の端のようだ。


ボクは幸せな旅を終わりたくない気持を振り切るように、
進藤より先に飛び降りる。


進藤はゆっくりと降りて来た。
舟が2人分の体重から解放されて、黒い横腹を見せる。


「・・・あれがオレ達の重さだ。」

「あの、喫水線。」

「何て?」

「水に浸かっていた位置まで濡れているだろう?その線。」


進藤は少し目を見開いた後、笑う。


「へえ。物知りだな。」


ああ、とどうでもいいような返事をしない所が進藤らしくないと思った。


「そうでもないよ。」

「でも、もうあの線まで水に浸かることは、ない。」


今度は僕が目を張る。


「お前、一人で帰れ。」

「何故。」

「オレには此処で待っている奴がいるんだ。だから。」

「じゃあ、僕も一緒に。」

「駄目!」


驚くほど強い口調。
拒否されたショックよりも、言いしれぬ不安がガスのように広がる。


「ゴメン。でも、戻って。」


・・・諦観。

進藤はもう、決めている。
僕と一緒に帰ることはないと。


「・・・君はどうやって帰るんだ。」

「ええっと『喫水線』、な。覚えておくよ。お前が教えてくれた、忘れない。」


そんな。


どうしてだろう。
僕はいきなり進藤を抱きしめた。




進藤は、拒まなかった。





後ろでギ、と舟の揺れる音がする。


「おい。」


振り向くと、小舟が岸から離れかかっている。


「急げ。」


もう一度舟がゆらりと揺れる。


「早く。」


ひとりでにゆっくりと岸から離れる。
帰れなくなるのはゴメンだ。



僕は、バシャバシャと水に入り、舟に飛び乗った。




進藤を抱いたまま。



「おい!何すんだよ!馬鹿力!」


片手で進藤にしがみついたまま、構わず櫂で岸を蹴る。
そのまま舟の底に押し倒して、岸が見えなくなるまで抱きしめていた。






「・・・もう、離せよ。」

「ああ・・・。」


乳白色の霧の中、小舟の中でまた向かい合う。


「さっきは君が漕いでくれたから、今度は僕が漕ぐよ。」

「あいつ、寂しがってるだろうな・・・。」

「あいつって誰。」

「あの森で、オレを待ってる奴。」

「だから、誰。」




「○○。」




聞き取れなかった。
でも、構わないと思った。

僕から君を奪う者は、暗い森で一人で泣いているがいい。





だから、さっきから妙に櫂が軽いのも、

喫水線が行きより高いのも、


気のせいなんだろう。





−了−







※怖いです。




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