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071:誘蛾灯 さる御婦人に芝居見物に誘われた。 オレも暇を持て余す身の上ではないが、偶には碁を忘れて のんびりとした時間を過ごすのも悪くないかと思った。 「これは。」 プログラムを開けると、いつか見た字が踊る。 「・・・前にも見たことがありますね。」 「ええ。でもお気に入ってらっしゃったでしょう?」 「ええ、まあ。」 もう十年近く前、同じ人と舞台を見たときに、この演目があった。 輪廻転生の物語で、自分の身と重なるなどと、口を滑らせてしまったような気がする。 オレは若かった。 ブザーが鳴る。 客席のライトが落ちて、汐が引くようにざわめきが小さくなって行く。 手元が暗くなって見えなくなる前の最後の瞬間、オレはもう一度その文字に目を落とした。 「桜姫東文章」・・・・・・・四世鶴屋南北 ある僧侶と、彼と衆道の契りと交わした少年が心中する場面から始まる。 彼らの恋はこの世では叶わないのだ。 僧侶の名を記した香箱を身に付け、少年は稚児ヶ淵に身を躍らせる。 来世では女に生まれ変わって僧侶に愛されることを願いながら。 だが、僧侶は、岸壁に打ち付ける波に恐れを成し身を投げなかった・・・・・。 十七年後、僧侶は生まれつき左手の開かぬ奇病を持った貴族の姫君と出会う。 僧侶が唱名を唱えると、なんとその姫の左手が開き、中からは僧侶の名を記した 香箱が出てきた。 そう、姫は彼の少年の生まれ変わりだったのだ。 目が、痛い。 あまりにもじっと見ていたせいか。 暗いところから明るいところを凝視するのは視力の低下に繋がる。 当たり前に行われる輪廻転生。 若かったオレはその世界観に心を奪われた。 愛して、そして彼岸の彼方に消え去った少年が再び目の前に現れた時の 僧侶の喜びはいかばかりであったか。 ・・・オレにも少年の頃、愛する女が居た。 だが、彼女は体が弱く、それ以上の理由もあってオレ達は結ばれない運命であった。 誰にも言えない恋だった。 彼女の病室に泊まり込んで、たわむれたこともある。 荒い息の下、今度生まれ変わるときは、などとつぶやいた彼女が愛しかったが 結果的にはそれも彼女の命を縮めた原因かも知れない。 オレはまだ幼かった。 人が死ぬものなのだということが、信じられなかったのだ。 彼女が他界したとき、オレも後を追うべきだと思った。 でも、これで頼りはお前だけだ、などという両親を置いて逝くことは出来ず、今に至る。 「今度生まれ変わるときは・・・。」 健康な体で、あなたとは血のつながりがなくて、でもあなたのお側にいられて・・・。 いつか必ず出会えると、オレは彼女の言葉を信じることにした。 しかし姫は僧侶を愛さなかった。 彼女が愛したのは、ある夜押し入ってきて自分を犯して去った顔も名も知らぬ盗賊。 男の子どもをこっそりと産んだばかりか、ちらりと見えた腕の刺青を真似て 自分の腕に似た刺青まで彫る。 それは、少年の復讐なのか。 それとも運命の悪戯なのか。 使いで来た中間の腕にその刺青を見付け、人払いをする姫君。 「お前が忘れられなかった」と告白をして、恥ずかしげに自分の腕の刺青を曝す。 自分も相手の顔を覚えていなかったので驚く盗賊。 ・・・・・・目が、痛い。 「コレさ・・・・」 いい気になった盗賊が、姫君の美しい刺繍の施された着物の膝に汚い足を乗せる。 胸元に手を差し込む。 「おい・・・・。久し、ぶりだなぁ・・・・。」 帯を解いて、盗賊が姫を抱き寄せ するすると御簾が下りて行く・・・・。 ・・・彼女が逝って、丁度十月十日後、身近な人に子が出来た。 日を数えて、オレは絶対彼女の生まれ変わりだと思った。 だが、その子は男だった。 すぐに後を追わなかったオレへの、これが彼女の仕返しなのか。 いや、そもそも転生などというものはこの世にないのだろう。 なのにその男の子は日を追う毎に彼女に似てきて。 涼しげな目元、大人しやかに見えて実は激しい気性。 無視しようと思った。 ただ師匠の子ども、いずれは棋界に頭角を現すかも知れないが、 今のところただの弟弟子、オレの相手ではない。 ただそれだけ。 そう、思おうとしていた。 でも彼が小学校に入った頃からオレは心を乱されるようになり 自分に嘘が付けなくなった。 オレと彼女の恋は叶わぬ運命なのか・・・。 そんな頃にこの芝居を見て、輪廻転生はある、と思ったのだ。 しかし桜姫は運命を無視した。 前世からの契りよりも、目の前の官能を選んだ。 オレも。 運命など信じない。 叶わぬ恋だと言うのなら、無理矢理にでも叶えて見せる。 少年が彼女の生まれ変わりであろうとなかろうと関係ない。 やがて姫君が父親の分からない子を産んだことが明るみに出て しかし彼女は相手の名を言わなかった。 香箱の件から父親は僧侶だという話になり、 不義の罪で姫君と僧侶は共に追放される。 毒を飲まされ、半死半生のおどろおどろしい姿になりながら姫に迫る僧侶。 逃げまどう姫の白い手から経文が、手妻のようにバラバラとこぼれ落ちる。 しかし結局彼は、取り乱した姫に殺されてしまった。 ・・・前世の契りを信じ、自分が少年を裏切った事などすっかり忘れて 手痛いしっぺ返しを食うのだ。 しかもその後も幽魂となって見苦しく姫に付きまとう。 オレは僧侶のような不様な事にはならないと思った。 オレは忘れてはいない。 彼女が男に生まれ変わってオレに復讐したのなら、それも良かろう。 これで、おあいこだ。 幸いにもオレは生まれたときから彼を知っている。 盗賊が現れる前に姫を手に入れ、そして離さないと。 そう、思っていた。 だが、思わぬ所から盗賊は現れた。 そして疾風のように姫をさらっていった・・・。 「どうなさったの?汗を・・・。」 「いえ・・・なんでもありません。」 その後姫は盗賊に売り飛ばされ、身を落とす。 そして、姫様言葉と下司な言葉をちゃんぽんに使う不思議な魅力を持つ女郎となった。 「ん◯◯◯◯屋っっ!」 独特のかけ声。 沸き起こる拍手。 アキラを、思う。 碁盤に挑む、恐ろしいほどに清らかで凄烈な目、 しかし同じ目で、進藤に妖艶に微笑みかける。 売女め。 碁を打つためにだけ生まれてきたような顔をして 碁石を持つその手で進藤の体に触れるのか。 天女のように高慢な顔をして 進藤にその体を開くのか。 ・・・芝居は最後には、盗賊が父や弟の敵と知り、姫は眠っている愛しい男を刺す。 我が子まで手に掛け、何食わぬ顔でお家を再興した姫こそが、 一番したたかに 最後に笑う者。 結局オレは莫迦な僧侶、清玄の役目をそのまま背負ったことになる。 そして盗賊は進藤だったわけだが、 実はこの二人は同じ役者が演じているのだ。 そして二人共に桜姫に殺された。 進藤、お前だっていつかアキラに。 「目が、お疲れに?」 「・・・ええ。」 囃子と共に拍手が鳴り響き、緞帳が下りてもオレは眼鏡を上げて鼻の付け根を押さえていた。 「・・・以前オレは、この話が自分と重なる所がある、と言いましたが覚えていますか。」 「ええ・・・?」 「今はあの時以上です。」 「ま・・・。」 オレは彼女が何もかも知っていてこの芝居に誘ったのかと思ったが、 どうやらそれは邪推だったようだ。 ざわざわと人が立つ。 オレ達も席を立って通路の方に移動する。 「・・・どうやらオレは叶わぬ恋しか出来ない運命のようだ。」 彼女は戸惑ったように眉を顰めている。 本気にしていいのかどうか迷っているのだろう。 オレは構わず続ける。 「それで結局失恋したりするわけなのですが、」 「・・・・・。」 「それももうそろそろ終わりにしたい。」 横目でねめつけながら口にすると、 彼女は少し唇を開いて息を呑んだ。 この女も十数年来手に入らない人だったが、これほどあからさまに誘ったのは 初めてだ。 いつも靡きそうで絶対に靡かない。 質の悪さは遺伝するのだろうか。 でも、オレも待つのには、飽いた。 いつまでもごろごろ喉を鳴らして大人しく貴女の膝元に傅いてはいませんよ。 さて、どうします・・・。 女はしばらく首を傾げていたが、やがて目を細め口元を綻ばせる。 「・・・叶わぬ恋しか出来ない運命だなんて、なんて素敵。」 「・・・・・。」 「美しいじゃありませんか。陶酔してしまいそうだわ。」 他人事だと思いやがって。 小さく舌打ちをするオレを尻目に、明子夫人は嫣然と微笑んだ。 −了− ※オガアキ・・・オガ明でした。珍しくノーマルカプ。 盲日の緒方さんがあっさりアキラさんを諦めた事に理由付けしてみた。 緒方さん、好きです。 だから誰にも渡したくないの。 ということで不幸な過去をねつ造してみた。サディスティックな愛ですか。 |
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