065:冬の雀 寒いから。 塔矢アキラは、良い理由を思い付いた。 窓の外には灰色の冬空を背景に丁度電線が揺れていて その上に丸く膨らんだ雀が座っている。 彼は羽毛を逆立てて体温の放出を防ぎ、 首を竦めて冬が行き過ぎるのを待っていた。 進藤ヒカルが自分の事を好きなのではないか。 と兄弟子に言われた時、意味が分からなかった。 彼が自分の生涯のライバルに成りうるかどうか、という件については 散々考えたが、友人、という視点ですら考えた事がなかったので。 「そうじゃない。恐らく進藤はおまえを友人以上に見ている。」 「・・・以上?」 「・・・恋愛の対象、という事だ。」 「ご冗談を。」 「だったらいいが。」 兄弟子は溜息を吐いて、自分はアキラより人生経験が豊富である事、 その経験が進藤のようなタイプは性別を越えて恋愛が出来るであろう事と、 そして目的を達するために何をするか分からない輩だと教えている事を アキラに告げた。 「気を付けた方がいい。」 「分かりました。」 とは言え、何をどう気を付けるというのだ・・・と心の中で呟くと 知らず、口の端が上がってしまいそうになる。 男に好かれている、という事に関しては特に感想はなかった。 元々異性には人気がある方だ、という自覚はある。 もてる、というのはアキラにとって棋力や成績と同じく、「強さ」のバロメーターの一つに 過ぎない。 ただ、後天的な「努力」という要素が入り込みにくい分、上等なバロメーターとは 言い難い、とアキラは思っていた。 実際そちら方面では何の研鑽もしていなかったので、髪型や服装を工夫し、 努力をしている者よりもてたとしても、得られる勝利感は少ない。 しかし何にせよ強いというのは悪い事ではないし、嫌ではなかった。 その相手が男であれ女であれ、差はない。 それからヒカルを気を付けて見るようになったが、彼がアキラの事をそのように見ている、 という証左は得られなかった。 やはり兄弟子の眼鏡違いかと思う。 相手が恋情にかまけて対局に影響を及ぼすようならばシンプルな碁敵に戻る為に はっきりと断らなければならないと思っていたので、安心もした。 もしヒカルが本当に自分をそういう相手として見ているのだとしても、 恋人として付き合う、という選択肢はアキラにはない。 ヒカルがどう、というのではなく、これまで断ってきた沢山の女の子と理由は同じだ。 自分には恋愛感情というものが抜け落ちているのかも知れない、と思うが 別に人間全員が恋愛をしなければならないというものでもあるまい。 街でテレビモニタの中で、恋人達を見掛けると楽しそうだと思わぬでもないが、 それで碁に費やすべきエネルギーや時間を取られるのなら、自分は恋愛など 一生するべきではない。 それなりの年齢に達すればどこかからしかるべきお嬢さんを紹介されて、結婚して、 子どもを作って・・・。 父はそのような人生を歩んできたように思う。 恐らくそれが碁打ちとしてベストの生き方だ。 なら自分もそうすべきた・・・。 人生のかなり早い段階で、アキラはそう決めていた。 「え?」 「いいじゃないか。もうバスもないし。」 「うん・・・。」 アキラの家でヒカルと時間を忘れて打ち、気が付いたらもう最終バスは出ていた。 駅まで歩いていけば帰れなくはないが、夜中に歩くには結構な距離がある。 車を呼ぶという頭はヒカルにはないようだった。 泊まって行くよう勧めようと思った時、それでもアキラは一瞬逡巡した。 気を付けた方がいい、と言う兄弟子の言葉を思い出したからだ。 だが。 ヒカルの様子におかしい部分はないし、時間を気にせず打てると思うと心は躍る。 万が一。 告白などされてしまったとしても心は決まっている。いつも通りだ。 先方が勝手に好きになったのだから申し訳ないとも思わないが、申し訳なさそうな顔をして 自分にとって一番大事なのは碁だから恋愛はしない、 気持ちはありがたいし勿体ないと思うが諦めてくれ、と控えめに断るのだ。 杞憂かとも思いながらそこまで考えて、アキラはヒカルの腕を掴んだ。 店屋物の夕食を済ませ、満足行くまで打ったらもう夜半だった。 アキラは取り敢えずヒカルを風呂に追い立て、客間に布団を二組敷いた。 いつでも寝られる体制にして置いて、眠気が来るまで検討する。 芦原が泊まった時などはよくそうするが、楽しいものだ。 だが、風呂から帰ってきたヒカルは少し複雑な顔をしていた。 「後で少し検討しよう。先に寝るなよ。」 だが気にせずそう言ってアキラは自分も風呂に向かう。 ヒカルもあの対局の後では興奮して、言わなくても寝られなかいかもしれないとだけ思った。 部屋に戻ると、ヒカルは布団の上で膝を抱え座っていた。 寒そうに丸まって動かない様子が・・・そう、冬の雀のようだと、 思ったことをアキラは後から思い出す。 「お待たせ。もう一度最初から並べようか。」 「うん・・・。」 ヒカルの浮かぬ顔も、検討が始まって口角泡飛ばして言い合う内、 赤く染まっていく。 途中結局どちらが最善の一手か決着がつきかねた場面もあったが、 瞼が重くなる頃には二人とも充足感に満たされていた。 アキラが布団に入る。 「結局、あそこはキミとボクの対局だから、という面はあると・・・寝ないのか?」 ヒカルは、布団の上に戻ったが、横たわらなかった。 「どうした?」 「おまえ・・・ここで寝るの?」 「・・・・・・。」 純粋な疑問ではない。 もう布団に入って横たわっているのだから、ここで寝るに決まっている。 ということは、それがあまりにも不思議すぎて確認せずにおられないか、 それとも・・・嫌なのだ。 万が一にもここで寝る訳ではない、と言ってはくれないかと敢えて尋ねているのだ。 「何か・・・不都合でもあるのか?」 「オレ、隣の部屋で寝ていいかな。」 「隣って暖房もないけれど。」 「いいよ。別に。」 「・・・そう。」 と、ここで理由を聞いておいた方が後の憂いがないか、とアキラは思い至った。 同じ部屋で寝るのが嫌ならそれでいいが、それならこんな曖昧なままでなく はっきり言って欲しい。 「どうして?寒いのに。」 「オレ・・・。」 ヒカルは今まで逸らしていた目を上げて、真っ直ぐとアキラを見つめた。 その目に敵意は微塵もなく。 どちらかというと少し泣きそうな程に見える、切ない視線。 あ、しまった・・・突然、来た。 こういう瞬間を、アキラは既に何度か体験している。 だから恐らくヒカルが何を言おうとしているのか、ほぼ正確にわかっているつもりだ。 だが慌てずに静かに見つめ返した。 答えは既に用意してあるので。 「好きなんだ。おまえが。」 「・・・・・・。」 僅かに震えた、少しでも雑音があれば聞き逃してしまいそうな呟き。 違い無く、深い想いと僅かな色情を滲ませた、告白。 さすがに男に、しかもよく知っている人間に言われたのは初めてで 実際に聞いてみるとやや非現実的な感じもして一瞬言葉に詰まったが、 アキラは息を吸った。 悪いけど。 悪いけれど、ボクはキミをそういう風に見ることは出来ない。 男だからと言う訳ではないんだ。 ボクはきっと、恋愛が出来ない体質なんだ。 だからどうか、今まで通り、よき友人で、ライバルであって欲しい・・・。 「あ・・・。」 「だから、おまえと同じ部屋で寝ることは出来ない。」 「え?」 予想外の言葉に、アキラは次に言うべき言葉を忘れた。 急にこの部屋で寝たくない理由に話が戻るとは思わなかったのだ。 というか、どうして・・・? 好きなら同じ部屋で、もっと言えば同じ布団で寝たいものではないのか? ボクをどうにかしたいと思うものではないのか? 勿論断るし、力尽くでどうにかされる程やわでもないつもりだが。 「そういう可愛い顔、やめて。」 いつの間にキミはそんな苦い笑いを覚えたのだろう。 「好きだから、同じ部屋で寝たらきっと妄想してしまう。 頭の中で、おまえを犯してしまう。」 「・・・・・・。」 「そんなの、嫌だろ。」 「・・・・・・。」 いいのに・・・。 口の中で呟いたのは、今度はアキラだった。 「え?」 「別に、いいのに・・・。」 頭の中は、自由だろう? 想像で人を殺そうが何をしようが罪になんてならないのに。 キミはバカ正直に頭の中でボクを犯すと宣言する。 おかしいよ。 ボクは痛くも痒くもないのに、どうしてキミの方がそんなに辛そうな顔をするんだ? 「いい、の・・・?」 ボクは聖母マリアでも何でもない。 後ろめたく思う必要なんて・・・。 が、そこでヒカルはアキラに覆い被さってきた。 重い・・・。 と思ってから、勘違いされている可能性に思い至る。 しまった、そういう意味に取るか、違う、頭の中で何をされても構わないというだけで、 しかしまさか、いや勘違いをしているのは自分かも、 などと混乱している間に布団の端を持ち上げ、ヒカルがするりと潜り込んできた。 「あったけ〜・・・。」 「ボクは冷たい。」 「ごめん・・・。」 言いながら布団に頭を潜らせ、ごそごそとしたと思うと驚くほど躊躇いなく服を脱ぎ始めた。 「進藤?」 トランクス一枚になると、硬直したアキラのパジャマのボタンにも指をかける。 「ほら。こうすると温かい・・・よな?」 制止する事が出来ない程そっと上着を脱がせて、肌で肌を抱きしめた。 微かに、ヒカルの或いはヒカルの家の匂いがする。 そして、少し距離の開いた腰にも当たるものがある。 「する・・・のか?」 純粋な疑問ではない。 もう裸で布団に入って横たわっているのだから、するつもりに決まっている。 それでも確認せずにおられなかった。 肯定して欲しくて。そうしたら断る事が出来るので。 「・・・・・・。」 ヒカルは答えずに重なってきた。 体重を掛けないように、それでも出来るだけ肌が密着するように。 震える唇が近づいてきて、 少しだけ、 ほんの少しだけ触れて離れて。 ヒカルはアキラの肩に顔を埋めて、今度は思い切り抱きしめた。 「・・・だめっ!やっぱりダメ!出来ねぇ。」 「・・・・・・。」 「勿体なすぎて。」 「・・・・・・。」 全くだ、とアキラは思う。 自分の事を好きな人間を、ここまで近づけたのは生まれて初めてだ。 いつもは初手でシャットアウトするから。 「ダメだオレ、貧乏性だから、こんなに幸せなのって怖いよ・・・。」 相変わらず何か間違えている、でもそんな事を言われたら悪くない気分、なんて。 温かい上に妙に弛緩して、何だか眠くて仕方がない。 「これ以上は、今度な・・・。」 髪の毛に何かが触れる感触。 それでももう、瞼が持ち上がらない・・・。 朝起きてもほとんど裸のままで、ほとんど裸のヒカルに後ろから抱きつかれたまま寝ていた。 身じろぎすると「ん・・・」と首の後ろで幼い声がして、またぎゅ、と抱きしめられる。 微かなキス以外何があった訳でもないが、 どうして、自分は男に抱かれて寝ているのか。 どうして、自分はヒカルにこんな事を許してしまったのか。 あまりに非常な不思議に考え、考え、窓の外の雀を見て思い付いた。 寒いから。 一人で丸まっていても寒いから、メジロのように寄り添って押し合って お互いに暖を取っている。 ああなるほど、そう思えばそうとしか思えない。 人の体温は温かい。 それだけで幸せだ。 アキラは安心して、もう一度目を閉じてぬくもりに身を任せる。 寝る前に何か言っていたような気もするが、何故か追求する気は起きなかった。 ただ春までこうしていたい、と思った。 −了− ※参ったタイトルです。雀って冬何してんだろ。冬眠? |
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