061:飛行機雲
061:飛行機雲










「昨夜、林日煥と結婚したよ。」



北斗杯終了翌日、もう後は帰るだけの、のんびりした朝。
出場者や関係者はまちまちにホテルのレストランで朝食を取っている。

オレ達日本チーム選手は、何となく待ち合わせて・・・一緒にメシ食って、
食後の飲み物飲んでくつろいでいた。
そんな時だった。

塔矢爆弾が落とされたのは。


・・・け。結婚?!





社とオレは、当然固まった。
でもすぐに社は立ち直って、多分オチを待ってんだろう、笑う準備をした顔で


「そんで?」


と聞き返した。

オレは・・・塔矢がそういう種類の冗談を言わないことを知っているんで、まだ立ち直れなかった。



「社、冗談だと思っているだろう。」

「え。」


真顔で返した塔矢に、社の笑い掛けた顔がまた凍る。


「ボクだって自分が結婚できる年齢に達していないのは知っている。」


いや、そーいう問題じゃなくて。


「そうでなくとも男同士なのだから、法的なものではない。
 実質上の結婚、という形になると思う。」


淡々と言い放って、すすー、と紅茶を啜る。
オレ達も釣られてコーヒーを口に運ぶ。

じ、実質上って実質上って、え?え?一体・・・。

もう味なんて全然分かんない。
分かんないままに、とりあえずずずっと社とステレオで音を立てて。


やがてしかし、冷静に見えた塔矢の紅茶カップが、皿に触れる時カチカチと小さな音を立てた。


「・・・・・・。」
「・・・・・・。」

「すまない・・・。本当は、こういう事を言うのは、とても緊張していたんだ。」

「・・・・・・。」
「・・・・・・。」

「でもいずれは両親にも言わねばならないし、その前に、予行演習ではないが
 キミ達にも知っておいて貰おうと思って。言えて良かった。」


マジ・・・すか。
社のマグカップがガタリと落ちて、テーブルにコーヒーが少しこぼれた。








「・・・ええっと、さ。取り敢えず意味が分かんないんだけど。」

「何がだ。」

「実質上の結婚をしたって、どういう事?」

「・・・・・・そういう事を、言わせるのか?」


塔矢が目の淵を染めて、睨み付ける。
コイツがまさか、カマ掘られたとは信じられないけど、何だろ。
とにかく何かの勘違いだとは思うんだよな。


「いやだって。」

「昨夜が初夜で、今朝まで一緒にいた。これで十分だろう。」

「・・・・・・。」
「・・・・・・。」


塔矢は開き直ってしまったのか、またいつもの調子を取り戻し、
えらい事を軽く口にした。


でもオレ達には、大ダメージだった。


やがて、黙り込んだオレに代わって今度は社が突っ込む。
ソフトにソフトに遠回しに。


「・・・っちゅうかやー、男と女なら分かるけど、男同士やからな。
 その・・・子ども作るような事でけへんやろ?」

「キミ達はまだ知らないかも知れないけど。」


しょうがないな、と言った顔で急にテーブルに身を屈め、
オレ達がまた釣られて顔を近づけた所で塔矢は顰めた声を出した。


「・・・男には膣がないだろ?」

「あ・・・ああ。」

「だから、その付近の似たような箇所を使うんだ。」

「・・・・・・。」
「・・・・・・。」


塔矢はテーブルの上にこめかみに汗をダラダラかいたオレ達の顔を残したまま
椅子の背もたれにふんぞり返った。

で、何でどことなく得意げなんだよ!


「いや、まあ詳しくは言わないよ。ボクも昨夜までは知らなかったんだしね。」


・・・いや、あの。








それからしばらく沈黙が落ちた。

塔矢は言うべき事は言ったって感じで満足そうにお茶飲んでるし、
社はゆらっと立ち上がってコーヒーのお代わりを貰いに行った。
帰ってきてくんくんと香を嗅ぎ、


「ん〜、やっぱホテルのコーヒーはちゃうのお。」


なんて一人で呟く。
ケンカして興奮してるネコが突然毛繕いを始めたりするのに似てると思った。


「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

「・・・でさ、塔矢。」


社がびくっと震える。
多分もう心はすっかり別世界に行ってたんだと思う。


「何だ?」

「その・・・日煥の事、好きだったの?」

「ボクが?男を?まさか!」

「いや、じゃあその、どうしてそう言うっていうか、結婚なんて話になったの?」

「ああ・・・。」


塔矢はしばらく考えた後、


「昨夜日煥がボクの部屋を訪ねてきて。」

「うん。」

「結婚しようと言って、押し倒してきた。」

「・・・・・・え。」


っと。多分、それ違うと思うっていうか、聞き間違いだと思うけど
そうじゃなくても!


「おまえ。そんなんでいいの?!」

「え?」

「そんな、男に急に押し倒されて、何で断らなかったの?」


ちょっと声を大きくしたオレに、塔矢は呆気にとられた顔できょとんとする。
でもオレ、何も間違った事言ってないよな?


「どう考えても普通断るだろ!」

「断ろうと思ったよ。思ったけど、その語彙がなかった。
 そしてそのまま流された。それはボクの不覚で、ボクの責任だ。」

「・・・・・・。」

「だから、ボクは自分の責任で結婚したんだよ。」

「・・・・・・!」


コイツ・・・。
何で、何でそうなんだよてめえはよ!


「・・・最中後悔しなかったの?何考えてた訳?」


我ながら際どいツッコミだと思った。
けど


「何も。」


一言かよっ。


「その・・・でもさすがに痛かったやろ?」


撃墜されたオレに代わって、やっと浮上した社が援護射撃をしてくれる。


「ああ・・・それは痛かった。涙が出る程。」


げ・・・・・・。

あまりに普通に、あまりに生々しく答えられて、
社もオレも下を向いた。
ホントにコイツはなんで。

おまけに、涙流しながら林日煥に組み敷かれてる塔矢なんてもんを
つい想像しちまったじゃんかよ・・・。


・・・・・。


・・・うぎゃー。気色悪りぃ・・・!

そりゃこの髪型だし、ちょっと女顔だけどさ、
性格知ってるし。
このマユゲだし。


「進藤。想像するなよ。」


遅いっての!余程げんなりした顔しちゃってたらしい。
ホントに日煥も趣味悪いよ。

北斗杯のメンバーでそういう対象として何とか見られるのは、
中国の、小柄でちょっと可愛くて愛想のいい、そうそう、チャオシーだっけ。
アイツぐらいなんじゃない?

とかってオレまで変な事考えてる場合じゃない!







「・・・ええっとなぁ。まあそれはしゃあないわ。そういう事もあるやろ。」


オレが現実逃避な思考に向かいかけている間にも、社は体勢を立て直した。
結構打たれ強いらしい。
でもそうか、コイツが男にヤられちゃったってのは、もういいんだ。
ってか、仕方ないよな。終わった事だし、オレらには関係ないし。


「そんでぇ・・・、何で結婚って言葉が出てくる訳?」

「日煥とそういう関係を結んでしまった以上、例え相手が女性でも
 別の人と結婚する訳には行かないし、もう日煥とするしかないだろ?」


・・・何かもう、ツッコミ所が多すぎて、なんて言っていいのやら。
社も掌を前にかざして、こめかみを指で揉んだ。


「ちょい・・・ちょう待ってな。」

「おまえさー、戦前じゃないんだから、いっぺんヤったぐらいで責任取って下さいって
 そういう時代じゃないってぐらいは分かってるだろ?」


社がこっちを見る。
いや、微妙に論点がズレてるっぽいってのは自分でも分かってるって。


「そういう時代であろうがなかろうが、結婚相手と以外そういう関係を結ぶというような
 ふしだらな考えはボクにはない。」

「ふしだらって。」


殆ど知らない男にいきなり押し倒されて、しかも同性なのにそれを受け入れちゃう奴が
一体何言ってんだよ!
って言いたいけど、それを言ったら話が長くなりそうだから思いとどまる。


「・・・おまえはそうでも、向こうもそうとは限らないじゃん。」

「先方から申し込んで来たんだぞ?」


いやだから、それがもうかなり怪しいんだけどさ。


「まあ!まあええわ。でもな、塔矢。結婚っちゅうてもな、どないするつもりなん?
 男同士で結婚式はでけへんで。」


社!そこまで譲っていいのか!


「結婚式は昨夜したようなものだし、後の問題は双方の両親への挨拶と・・・
 どこに住むかだな。ボクとしては東京を離れたくないが、彼や彼のご両親の意見も・・・」


訊いてもいないのに今後のプランを蕩々と語り始める塔矢。
オレ達はタポタポのお腹を持て余し、ただただマグカップに鼻を近づけて匂いを嗅いでいた。






「そういう訳で進藤、社。うちの両親に伝える時に同席して貰えないだろうか。」

「?!」
「へ?!」


突然の塔矢の依頼に、オレ達は今日何度目になるだろう、氷化した。

あの、カコーンとか獅子脅しの鳴ってる庭に面した座敷で、
塔矢先生と、おばさんを前に突然、外国人の男と寝てしまいました、ついては結婚したい
なんて言い出す塔矢。
きっと先生もおばさんも、自分の息子がおかしくなっちゃったと思うに違いない。


『・・・どういうことだね。進藤くん。』


ぎゃー!ぎゃー!
塔矢先生の低い声音が、聞こえるようだ。


「アカンアカン!オレ遠いし!これから学校の中間試験もあるんや!」


あ、くそ!社、オレを置いて逃げるな!
塔矢、そんな、縋るようなというよりは、蛙を睨む蛇みたいな目で見るな!


「ちょ、ちょっと待てよ、塔矢!」

「別に今すぐとは言っていない。」

「いや、ってえか、」


何とか、何とか、オレは頭を絞って


「あとでな!」


と言って立ち上がって、ダッシュでその場を逃げた。
社が何か喚いていたけど知るもんか。







オレはそのまままっすぐ秀英の部屋に向かった。


「はい・・・あ?進藤?」

「秀英、ちょっと日煥と話したいんだ。通訳頼む。」


かなりヘビィな話になるかも知んないけど、まあコイツももう15だし、いいか。
ってか他に頼める奴いないって。



二人で日煥の部屋に行き、中に招き入れられると、すっかり荷造りも済んで
くつろいでたみたいだった。
二つあるベッドの片方に横たわった跡はあったけど・・・、カバーは捲られてなかった。
秀英と日煥が何か会話している。


「○○○○。」

「○○○○○・・・、○○○○○○。」

「あの、いいかな?」

「ああごめん。うん。」

「日煥に、うちの大将の塔矢と結婚した覚えあるかどうか訊いてみて。」

「はぁ?!」


秀英が大きく口を開く。当たり前だよな。


「いいからそのまま伝えて。」

「ああ・・・○○○、○○○○○、○○○○○。」

「○○○○○○。」

「ええっと・・・・・・それはその・・・、セクスをしたかという意味か訊いてる。」

「それはしたんだろ?知ってる。」

「○○○○○、○○?!○○○○○○○・・・・」


秀英は目を剥いて、日煥に早口で何か言い始めた。
日煥が小さく頷く。
しばらく二人の激しい応酬を聞いてたけど埒があかないんで口を挟むことにした。


「秀英、いい?」

「○○・・・え?あ、ああ・・・ごめん・・・。」


ぶるんと頭を大きく振る。


「で、結婚はしたって?」

「・・・○○、○○○○○○○。」

「○○○○○。」

「・・・してるわけないって。」

「だよな。でも、塔矢はすっかりその気なんだよ。結婚申し込まれたって言ってるし。
 思い当たる所ない?」

「○○○○○、○○○○○○○○○○、○○○○○。」

「○○○○○、○○○○○○○○、○○・・・・・・。」

「物凄く訳が分からないって。・・・あ!○○、○○○○○、○○○○・・・・?」

「○○○○、○○○○○、○○○・・・・・・・・・・。」

「・・・進藤。セクスをしようとは言ったらしいから、訳し方によっては。」

「・・・それだ、な。」

「それに今思うと、前後は聞き取れなかったけど『誓いのキス』とか何とか
 言ってて、朝の様子も、何か照れくさそうな、妙な感じだったって。」

「○○、○○○○、○○○○?」

「『でも、普通そんなこと思うか?』」

「思わないけど塔矢は普通じゃないんだよ。」

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」


本当に、人を黙り込ませる力のある奴だ、アイツは。




「・・・・・・○○○、○○○○○、○○○○○・・・・?」

「あの、日煥が。」

「何?」

「・・・塔矢は『ばか』なのかって。」

「・・・・・・。」


・・・そう。碁は滅茶苦茶強い。
それに海王だし。
中国語も韓国語も英語もおぼつかないながらも何とか話せて、
ソツのないスピーチが出来て。
そういう碁に関係した面ばかり見てたから。

だから、全然気付かなかったんだ。

いや、中学の時の突拍子のない行動からして、
ちょっとは思わないではなかったけど。



・・・・・・塔矢アキラは、間違いなく、ばかだ。



何せ海王だったからな。
でもいたよな、成績はやたらいいけどバカな奴。
塔矢もそういう奴だったのか・・・。


「○○○○、○○○○○○○○○○、○○○・・・・・・・。」

「とにかくもうすぐ出発だし、塔矢の事好きだけど結婚って違うし
 進藤から、何とか、よろしく伝えてくれって・・・。」


しどろもどろらしい日煥の言葉を、これまたしどろもどろに秀英が訳す。


「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」


落ちた沈黙をゴォォと微かな音が破る。
窓の外に目をやると、白くて長い尾を従えた飛行機が遥か上空を飛んで行く所だった。


いいよな。


社にしろ、おまえらにしろ、遠くに逃げてしまえる奴は。

オレはこれからも身近であのばかに付き合って行かなきゃならないんだぜ・・・?



やたらと顔の汗を拭っている日煥と秀英に、
オレは虚ろな目で笑い返した。









−了−








※偶には思い切ったバカ塔矢。
  そしてヒカチャオという新ジャンル(嘘)

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