056:踏切 進藤が、石を片付ける手を止めてこちらの顔を凝っと見る事は、しばしばあった。 「何だ?」と問えば、すぐに目を逸らして「何でもない、」と手を動かした。 それがあまりにも頻繁なので、ボクは言葉に出さずに目だけで問いかけるようになった。 ボクを見つめ返す進藤も無言で、何の表情もなく見つめ返してくる。 やがて莫迦らしくなったボクが、先に目を逸らすのが常となった。 その日もそうして目を逸らした直後だった。 「塔矢。」 珍しく、進藤が口を開いたので再び目を上げる。 彼はこの上なく真剣な顔をして、ゴクリと一つ唾を飲み込んだ。 口を開けてから非常に迷った様子で、言いたいことがあるのに言葉が上手く見つからず、 的確な表現の候補を頭の中で何種類も並べてはシミュレートしている、と言った表情だった。 しかしやがて出てきた言葉は 「好き・・・だ。」 非常にシンプルなものだった。 ボクが面食らわなかった訳ではない。 目的語が「塔矢」だとすると、まるで愛の告白みたいだと思って少し可笑しくなったり、 そうでない場合を色々考えて・・・みようと思ったら見つからなくて呆然としたり。 何も言えずに見つめ返すボクを、更に進藤は見つめ返していたがやがて 「・・・ゴメン。」 とにっこり笑い、手早く残りの石を片付け、 「今日はもう帰るわ。」 リュックを背負った。 それから進藤は父の碁会所に姿を見せなくなった。 勿論棋院などでは顔を合わせたが、以前と何も変わらない様子で「碁会所に顔を出せよ。」 と言えば曖昧に頷いた。 しかし実際に来た時には三ヶ月程過ぎていた。 「進藤くん久しぶりねぇ!どうして来なかったの?」 市河さんが、高い声で話しかける。 「失恋しちゃってさ・・・そんな気分になれなかったんだ。」 「あらぁ、そうだったの?お気の毒さま。」 と言いつつ、市河さんも失恋と碁会所に来ない事にどういった関係があるのか、 訝しいけれど聞くのも躊躇われる、といった風情だった。 「もうふっきったよ。いつまでも引きずって仕事に差し支えたら困るしね。・・・塔矢、打とう。」 「ああ・・・。」 その日、久しぶりに打った進藤は強かった。 検討を終えて石を片付けながら、ボクはふと。 「そう言えば、」 進藤が、ゆっくりと目を上げる。 瞬きもせず、ボクの目を覗き込むように。 既視感のような物を感じたが、よく考えれば昔はこうして見つめ合ってしまうというのは よくあったことだ。 「失恋・・・したのか。」 進藤は黙ったまま見つめ返す。 莫迦らしいと、こちらから視線を逸らす事が出来ない。 不自然な程長く視線を絡ませた後、進藤はただ 「うん。」 と言って、俯いて微笑んだ。 嗚呼。やはり、そうだったのか・・・。 ライバルだと思っていたし、男同士という事もあって、ただただ混乱するばかりだ。 愚かにも今までボクは信じられなくて、気付かない振りをして申し訳なかったけれど、 でも、どうしようもない事はどうしようもない。 終わった事なら何もなかったのだ。 進藤もふっきったと言った。 進藤の中でだけ起きて、そして解決した事件。 ボクには関係のないことだ。 そう、思っていた。 次に進藤に出会うまでは。 「塔矢くん、さようなら。じゃあ後でね、進藤。」 碁会所の前で偶然出会ったカップル。 それが進藤と、奈瀬さんだった。 進藤は関白亭主然として、「オレここ寄ってくから、先に向こう行ってろ。」と 彼女を促していた。 対局と検討が終わり、 何かが起きるのは・・・、そして起きないのはいつも石を片付けている時だ。 「進藤・・・。」 「ん?」 「さっきの、奈瀬さんと、付き合ってるのか。」 「うん・・・。」 それから、キミはいかにも態度が大きい、と言うと、 アイツ年上だからってすぐに仕切りたがるからあれ位でないとバランスが取れない、 などと言う。 「んじゃ、オレ帰るわ。」 「ああ・・・。」 石を片付け終わった進藤が、受付に向かった。 自動ドアが開き、そして閉まる。 ボクはもう一度二つの碁簀の蓋を開けて・・・ そして閉じた。 「あら、アキラくん?」 「ごめん!帰るよ。」 エレベーターはもう下に降りていて、ボクは階段に走った。 だが一階のホールにも進藤はいない。 どっちだ? どっちへ向かったんだ? 通りに出て慌てて左右を見ると、左の人混みの向こうに派手な色のTシャツが 見える。 もう少し行けば踏切だ。 その踏切で進藤が止まっていてくれ、とも思い、行ってしまっていてくれとも思いながら しかし全力で走っていくと果たして踏切で止まった人混みの中に 進藤はいた。 カーン、カーン、カーン・・・・・・ 警鐘が鳴っている。 「し、ん・・・、」 「塔矢?!」 膝に手を突いて肩で息をするボクに、進藤が寄ってくる。 「どうした?何か用だった?」 「ああ・・・。」 まだ顔が上げられない。 目の前に、進藤のスニーカー。 息をする度に少しづつ視線を上げ、 ジーンズの膝、 ファスナー、 Tシャツの腹、 襟首、 そして進藤の、目を見開いた顔。 カーン、カーン、カーン・・・ カターン、カターン・・・ 線路を振動させながら、電車が近づいてくる。 「好きだ・・・。」 ゴーーー・・・・ 電車が、ゆっくりと通り過ぎていく。 進藤の目が更に大きくなる。 そして電車が通過している間に、腕を取られて端の方に連れて行かれた。 「えっと。何だって?」 「・・・・・・。」 車両が通り過ぎてもまだ踏切は開かない。 見ると今度は反対方向から来ることを報せる矢印が点いていた。 その向こうに・・・踏切の向こうに、奈瀬さんの姿が見えた。 「キミが、ボクも、」 「・・・・・・どう言う事?」 「好きだったって、」 「・・・・・・。」 「気が付いた。」 「・・・・・・。」 奈瀬さんは、進藤に気付いていない。 鞄を抱え直して電車が来る方を見ている。 「・・・何で、今更。」 「悪い・・・遅いと思った。思ったけど、伝えずにいられなくて、」 いや本当は。 遅いと思うからこそ、伝えてもどうにもならないと思うからこそ伝えられたのだ。 自分の言葉がキミを縛らない。 自分の言葉によって、何も起こらない。 それが分かっているからこそ。 ボクはこんな時どうしようもなく臆病者だから。 「オレ、やらしい夢におまえが出てくる程思い詰めて、」 だってキミはいつでもそんな風に生々しくて、 ボクはどんな顔をすればいいのか分からない。 電車が来る。 それが視線を遮る直前、奈瀬さんが鞄から小さなものを取り出したのが見えた。 進藤がボクの耳元に口を近づけて、大きな声で言う。 「ぐちゃぐちゃから抜け出したくて告白して・・・んで、やっと吹っ切れたのに。」 「うん・・・。それだけの時間を掛けて、ボクもやっと自分の気持ちに気が付いた。」 「そっか・・・。おまえは、悪くない。」 「・・・すまない。でももう、遅いんだな・・・。」 絡み合う、視線。 もうこれで最後かも知れない。 ファン・・・ ゴーーーー・・・・ 絡み合う、視線。 でも何も起こらない。 もう遅いのだから。 チャララ〜ララ 電車が行った途端に、進藤の尻辺りから流れるメロディ。 ボクの目をみつめたままポケットから携帯電話を取りだす。 片手で器用に蓋を開け、見もせずに親指でボタンを押した。 何事かと思っていると 「・・・あ、奈瀬?」 「あ・・・。」 開けようとした口を、空いている方の手で塞がれる。 見開いたまま踏切の向こうに飛ばされた視線は、きっと同じく電話を耳に当てた 奈瀬さんを発見しただろう。 「ゴメン。あの子、やっぱりいいわ。断っといて。」 『はぁ?!』 離れていても電話の向こうから大きな声が聞こえる。 眉を寄せ、携帯を反対の手に持ち替えるのが遠くに見えてテレビ電話のようだ。 『ちょっと進藤?』 「じゃ。」 ピ、と音をさせて蓋をぱたっと閉じてポケットに戻した。 ようやく口の手が外される。 そのまま踏切が開くのを待たず、進藤はボクの手を掴んで反対方向へ 走り出した。 「キミ!」 「奈瀬と付き合ってるなんて嘘だよ!」 「って、一体何だ!」 「ゴメン見栄張って。でもこの後女の子を紹介して貰うとこだった。」 「じゃあ、あの断り方はないだろう!」 「どう言っても同じだ。」 「それにもう遅いって、」 「遅くなんかないよ。だってオレ今でもおまえを・・・」 「ああいう事をするキミが好きな訳じゃない!」 走りながら、繋がれていない方の手で顔をなぐった。 「ってえ!」 だってボクは、キミが奈瀬さんと付き合っているっていうから。 今さら告白しても何も起こらないと思ったけれど。 今なら告白しても何も起こらないと思ったから。 だから、踏み切ったのに。 こんな荷物抱えて生きていくなんて嫌だから、放り捨てたのに。 キミの両手は塞がっているからと思って安心して捨てたのに。 そんなにあっさり受け止めるなんて。 反則だ。 「あー、嘘みたい!塔矢が、塔矢が、」 「な、なんなんだ!」 碁会所の前を通り過ぎてもまだ走りながら、息を切らしながら、 進藤が声を弾ませる。 一体何処へ向かって走っているというのだろう。 いや、きっと進藤にも、分かっていない。 「絶対無理だと思ったから気持ちに踏ん切りつける為に告白したのに。」 ・・・キミも、ボクに断られてホッとしていたという事か。 でもそんなものかも知れない。 男を好きになってしまう葛藤を、ついさっきボクも知ったばかりだ。 お互いに玉砕を期待して踏み切った場所に、相手もいた。 こんな事って。 「あの・・・。」 目を上げると、さっきまで喜色満面だった進藤が 今度は酷く戸惑った表情を浮かべていた。 ボクも似たような顔をしていると思う。 「これから、どうしよう?」 「・・・本当に。」 うっかりと成就してしまった恋に、 ボク達は途方に暮れた。 −了− ※実際こんなもんじゃないかと思うんですがありがちネタかしらん。 |
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