052:真昼の月
052:真昼の月










昔、「進藤」という友人がいた。

友人と言って良かったのかどうか・・・。
もう、随分と昔の話だ。
確かに「ライバル」と周囲から言われ、自分たちでもそう言っていたような気がするが
時間が経ちすぎてもう、自分でも彼とどういった関係だったのか忘れてしまったよ。


ああ、そう。

「ヒカル」・・・進藤ヒカルと言ったか。
いや、名前までは・・・。
ただ「進藤」と呼んでいたように思う。

無理を言ってはいけない。
あれから沢山の人と出会い、沢山の対局をし、沢山の友人を得たのだ。
彼等全ての姓名を覚えている訳にも行くまい。
特にもう、いなくなってしまった者の名など。


名字がすんなり出てきたのすら自分でも驚くほどだが、
そう言えば、その名の載った棋譜を何度も、何十度も見直したからな。

そう。

例の。
あの一局だ。

あれからどれ程対局しても、結局あれ以上に美しい棋譜を描く事は出来なかった。
ああ・・・。
素晴らしかった。あの高揚感は、今でも忘れられない。


「神の一手」と、後に呼ばれた・・・、あの101手目!


今でも不思議だよ。
僕の記憶では対面にいたのは若造なのに。

指先が、本当に光っていたのだ。

もう顔も覚えていない。

いないが、あの指先は、忘れられない。

光っていた。

確かに。




・・・結局彼は、その「神の一手」を極める為にこの世に現れたのかも知れない。
だから、彼がその対局のすぐ後に夭逝しても、特に残念ではなかった。

為すべき事を為して、そして逝ったのだと、思った。

願わくば自分がその一手を打ちたかった気もするが、
彼と一緒にその棋譜を作れただけでもう十分光栄だよ。満足だ。


そうだな・・・。

あれから、強い相手とも沢山対局したが。
進藤が逝ってからは国内では敵なしと言われたが、そう、韓国の高永夏とは
年も近いし、ずっとライバルと言われていたな。

しかしどれ程強い相手でも、神の一手を極められるような気がしなかった。

進藤とのような、あの熾烈な一局を。



・・・おお、忘れていた。

そうだったな。
確かに妻とは、その進藤がいなければ知り合わなかったようなものだ。

進藤と過ごした時間よりもずっと長く、密接な時間を過ごして来たので、
結婚前の事などもう忘れていたよ。




ああ。悪くなかった。

いい、人生だった。

特に、二十歳の時の、あの光り輝いていた一局。


あれ以降は、きっとおまけだったのだと思える程に。

それでもその後の穏やかな人生も、悪いものではなかったよ・・・。














・・・や・・。とうや?


誰・・・だ・・・。
僕を、呼び捨てにするのは。

日本人ではないのだろうな。

国内では大概の人は頼んでもいないのに「先生」を付けるから。
そうでなければ、「さん」、「名人」・・・。



「とうや。塔矢!」



ああ、やはり金色の髪。
いやでも顔立ちが?


「塔矢ってば!オレの事忘れちゃったの?」


・・・どこの子どもだ?
この塔矢アキラに向かって、こんな。


「もう!オレだよ!進藤。進藤ヒカル!」


・・・進藤・・・進藤、ヒカル?


「し、進藤?!」

「あー。やっと思い出した?」


名前には覚えがあるが・・・。
小・・・いや、中学生ぐらいか。
前髪だけ金色で、丸い目の愛嬌のある顔。

これが、進藤ヒカル?


「キミ・・・どうして。」


まだ今ひとつ腑に落ちない。
この子どもが自分と同じ年だった進藤ヒカルだと言われても。

同年輩の男性に話しかけるようにすればいいのか、院生の子どもに
話しかけるようにすればいいのか分からなくて・・・つい言葉少なになる。


「オレ、ずっとここで待ってたんだぜ?」

「え・・・。」

「うわ。ひっでー!オマエが行くなって言ったんじゃん。」


僕が・・・?

戸惑ったその瞬間、しかしながら脳裏に鮮やかなフラッシュバックが起こった。
病院の白いベッドにすがり、行くな、行かないでくれ、と取り乱す自分の姿。

すっかり忘れていたが・・・そう言えばあんなに涙した事は、生涯ただ一度だった。


「思い出した?」


目の前の少年がニヤニヤと笑う。
進藤とは、こんな人間だっただろうか。

長い長い間、彼の棋譜だけが彼を思い出すよすがだったので。
酷く美しく、激しい人だったような気がしていた。
いや既に、人でなかったような気さえしていた。


「そういやこの頃、オマエの方がずっと背が高かったんだな。」


少年はちょっと口惜しそうな顔をして僕の肩に手を掛け、背伸びをした。
慌てて自分の手を見ると・・・細く・・・小さい。
顔に触ってみると、驚くほどつるりとしていて柔らかく、切りそろえられた横髪が
指を撫でた。

ああ・・・そうだ。僕は長い間、女の子みたいな髪型をしていた。
来ている服も、カイ・・・海王中の制服のようだ。

胸がじわりとする。
忘れていた、あの頃の空気が、気持ちが、甦るような。


その時。


ただ何となく明るい場所だと思っていた周囲がザンッ!とざわめいて、
景色が揺れて・・・
やがて、大きな桜の木が現れた。

ああ、この桜。

覚えている。
バスを乗り継いで行った進藤の、中学校の校庭にあった桜だ。

夥しく舞い散る桜の花びら。
もう、ボク達を遮るカーテンはない。

嗚呼・・・。


「進藤・・・待たせたな。」


あの時とは、違う科白だろう。でも。


「・・・ああ!」


進藤が親指を立てた。
懐かしい、仕草だった。







「じゃあ行く?」

「え、どこへ。」


彼は困ったような顔をした。


「ん〜、オレにもよく分かんない。次の世界。」

「・・・・・・。」

「それともオマエも誰か待ちたい奴がいるの?」


次の世界とやらへ行ったらどうなるのだろう。
天国のような場所なのだろうか。
そこでずっと、進藤と打てるのだろうか。

それとも・・・また生まれ変わって・・・巡り会うのだろうか・・・。
そうでなければ、ボク達の魂は拡散して、「無」になってしまうのだろうか・・・。


「・・・許されるものならば。」

「うん。付き合うよ。こっから見てるとな、一生なんてすぐなんだぜ?」

「キミもボクの人生を見ていたのか。」

「うん。ずっと見てた。いいじゃん。色んな奴と打ててさ、いっぱい稼いで子ども作って幸せな一生じゃん。」

「まあね。」


彼に見られていたのは、嫌な気分ではなかった。
いやむしろ。

知らなかった。

キミの不在を嘆き続けた夜にもやがて朝が訪れ、日は昇り、ボクは忘れた・・・・・・。
それでも、見上げれば必ずそこにある真昼の月のように。

キミはいつもボクを見守っていてくれたんだね。



「・・・じゃあ、ボクが誰を待ちたいか、分かるね。」

「ああ。オレももっぺん『あかり』に会いたい。」


彼にどこかよく似た明るい瞳を愛したのは、偶然ではないのかも知れない。
幼なじみである彼等は、二人共に僕の宿命の相手だった。


「そうだ!あかりを待つとなったらまた時間が掛かるな。
 オレがオマエを待つのを待っててくれた奴がいてさ、『さい』ー!そういう訳だから。ゴメン!」




・・・いいですよ・・・私も塔矢に会いたかったし、あかりちゃんにも会いたいですから。




ふわりと。

桜の一部が、動いたような気がした。



白い袖が、温かい風を孕んで膨らむ。
衣の裾を引いて現れた人物は、とても古風で、とても美しく、とても。



「佐為はな、ここで一人でオレを待っててくれたんだ。
 で、オレが来てからは二人でオマエを待ってた。碁を打ちながら。」



この、気配。

この、気配。

懐かしく、恐ろしく・・・。



「あ、ゴメン。おまえ佐為知らないんだったよな?あのな、コイツは・・・」

「知ってる。」



進藤が少し驚いた顔をするのに、微笑みかけた。
やがて進藤も、笑顔になった。


「貴方を、ボクはよく知っています。
 二度・・・いや、三度対局して下さいましたよね?」


そう。ボクの人生を変えた人。
恐らく、進藤の人生をも。



「・・・はい。それでは、四局目をお願いできますか?」

「よろこんで・・・。」








−了−









※リレーの最終話貰う前に書いてたんですよ。
  今思うとそうでもないけど、当時はめっちゃ似てる!(死後の話自体が私にはもの珍しかった)とびびった。


  一年も経てばもう忘れてもいいかと思います。
  忘れても、きっと向こうでまた会えるんじゃないかなんてね。







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