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048:熱帯魚 ・・・和谷が、悪いんだ。 今年は日程の都合で、北斗杯の出場者が決まってから大会まで日が開いた。 その間に、進藤とボクの不仲は棋院の中で知る人ぞ知るものとなった。 「おい、塔矢。」 和谷がボクに声を掛けてくるのは珍しい。 何故か虫が好かないらしく、年が近い割にほとんど話したことがない。 「何?」 「オマエ・・・進藤と何があったんだ?」 またそれか・・・。 最近は色んな人からそれとなく聞かれる。 それ程までに以前は仲が良さそうに見えたのだろうか。 「別に・・・。」 「んなわけないじゃん。アイツ、オレらとは普通だけど、オマエが来たら完全無視だろ?」 そうなのだ。 あれ以来進藤は碁会所にも一切来ないし、公式戦で一度当たった時はさすがに 最初と最後の挨拶だけはしたが、それが交わした唯一の会話だ。 無論その時も検討もせずに無言で立って帰ってしまった。 それ以外にも、ボクと話していた越智と、進藤と連れ立っていた和谷が立ち話をした時も 同じ輪の中にいながら一切ボクの方は見なかった。 目を合わせて逸らすという事さえしなかった。 無視をしているという意思さえ示さぬ無視。 だが、ボクはそんな事では堪えない。 そんな事には慣れている。 「心配なんだよ。何か一時北斗杯の予選も出ないってまたゴネてたみたいだし。」 「大丈夫なんじゃないか?結局出たし食事も摂っているようだし。」 「オマエ!進藤が碁を打ってたらそれでいいのかよ!」 ・・・その通りだ。 ボクはそれを望み・・・そして叶えた。 もう、これ以上。 「オレは、心配なんだ。アイツじいちゃんも今具合が悪いらしくてお母さん家にいないみたいだし。」 和谷は怒っているような、でも少し悲しそうな顔をしてボクを見た。 ボクにも覚えのある感情だ。 進藤が正気を失っているように見えたあの時、ボクも同じ様な気持ちだった。 もしかして、ボクもあのように見えているのだろうか・・・。 和谷は、今年も予選の最後で進藤と当たって負けている。 友達であるという以上に、今の進藤は絶対負けて欲しくない人間なのに違いない。 それにほだされた訳でもないけれど。 「・・・分かったよ。今日進藤の家に行って話をしてみる。」 二度目に来たこの家。 インタホンを鳴らしてすぐに門を入る。 ボクだと分かったら入れてくれない可能性が高いからだ。 『・・・はい。・・・あ、あれ?』 戸惑ったような進藤の声の後、しばらくしてドアが開いた。 「・・・・・・。」 ボクを見てさすがに驚いたような顔をしたが、すぐに目を逸らしてドアを閉めようとする。 彼の顔を見たのは久しぶりのような気がした。 「進藤。」 ドアに靴を挟むと、抵抗もせずドアをそのままに背を向けて中に入っていく。 ボクと争うのも嫌、という訳か。 「お邪魔します・・・。」 声を掛けたが勿論進藤は答えず、家の人もいないらしい。 そのまま靴を脱いで二階に上がる進藤に着いていった。 部屋に入るとき、さすがに「入ってくるな。」ぐらい言ってくれるかと思ったが、 彼は何も言わなかった。 中は以前と変わらないが、碁盤は片付けられている。 やはり『sai』は戻って来なかったんだな、と思うと我知らず安堵の息が漏れた。 「進藤。」 ボクの方を見ず、ベッドに横たわって雑誌を広げる。 完全にボクがいないものとして振る舞っていた。 だが、構うものか。 「進藤・・・単刀直入に言うが、『sai』の事は忘れろ。代わりにボクが、打つから。」 『sai』の名前が出たときに、ピクリと指が震えた。 だが、それ以外は何の反応も示さなかった。 「・・・碁さえ怠らなければボクを無視する位は構わないが。 同じ棋杯に出る以上、あまり仲が悪いとチームワークに影響しないかと周りに心配を掛ける。」 「・・・・・・。」 相変わらず。 居もしない『sai』が見えたくせに、目の前にいるボクが見えないなんて事があるわけないのに。 頭がおかしいんじゃないのか。 しかしそのまま刻々と沈黙の時間は過ぎ、ボクは正座をしたまま途方に暮れる。 時折ぱらり、とページをめくる音だけが、やけに大きく響いた。 同じ部屋の中にいながら、進藤はボクの存在を全く無視して好きに振る舞っていて、 その話しかけ甲斐のなさと言ったら緒方さんの家の熱帯魚に負けていないと思った。 相当時間が過ぎ、これ以上粘っても無理そうなので帰る事にした。 その前に最後に声を掛ける。 「進藤・・・っつ!」 進藤に蹴られた脇腹が、痛んだ。 まだ痣も完全に消えてはいないのだ。 しかしそれでも進藤は全く動かなかった。瞼も動かさなかった。 誰のせいでこんな事になっていると思ってるんだ。 ・・・何だか、無性に腹が立った。 仁王立ちになって雑誌に目をやったままの進藤を睨む。 「キミがそのつもりなら結構だ。だが、先日のお返しはさせて貰う。」 ベッドに近づき、雑誌を取り上げる。 それでもこちらを見ず、だるそうに寝返りを打とうとする襟首を持って引き上げた。 そこまでしても進藤は目を逸らし、微かに眉を顰めたと思うと、大きく欠伸をした。 その瞬間目の前が沸騰した。 ・・・パンッ!! 静かな部屋に、乾いた音が響きわたる。 ボクは何を・・・。 思ったより高い音に自分が驚いて、我に返った。 誰かに暴力を振るったのは生まれて初めてだった。 ・・・和谷が、悪いんだ。 進藤が心配だなんて言うから。 進藤の母親がいないなんて言うから。 動悸が激しい。 相手の陣に切り込んだときのようだ。 さあ、どう返してくる。 どう・・・。 進藤は、ベッドの上に座り込んで面倒くさそうに頬に手を当てただけだった。 パンッ! もう一度平手打ち。 小気味良い音が響きわたる。 それでも、ボクなど目の前にいないかのように。 苛立ちが極まって、涙ぐみそうになった。 だがそれなら。 また襟首を掴むと、進藤は思わずといった感じで一瞬身を竦め、だが次の瞬間力を抜く。 その彼に、ボクは、 キスをした。 さすがに驚いたらしく、身を硬くしたが、やはり何も言わず、目も合わせない。 なんて強情な、 なんて負けず嫌いな。 押し倒して服に手を掛けても抵抗もしない。 ・・・和谷が、悪いんだ。 彼があんな事を言うから、こんなハメに。 進藤もボクも苦しむ事に。 キミが一言「いやだ」と言ってくれれば、 いや、せめて押し返してくれたら、いつでもやめるのに。 完璧に拒否された、コミュニケーション。 キミにとってボクはいない人間だから。 いない人間が何をしようが反応する必要がないから。 拒絶よりも強烈な拒絶。 絶対的な、無視。 だが。 何気なく股間を擦り上げたときに、気が付いた。 無視できない何か。 ・・・な、る、ほ、ど・・・。 ・・・男だったらどうしても反応してしまう場所が、 あるよねぇ?進藤。 その彼からの久しぶりの反応が嬉しくて、ボクは夢中で触り続けた。 あれ程取り付くしまのなかった彼が、 ボクの手の動きに合わせて身を捩り、 ボクの唇が肌をなぞるのを、必死で押し返す。 二匹だけの密室の中、 水槽の外の世界なんて存在しないかのように好き勝手に振る舞っている熱帯魚は、 ボクの方だ。 いつの間にか先程までの怒りは消え、 自分の唇がサディスティックな笑いに歪んでいるのを、他人事のように認める。 やがて彼は荒い呼吸を繰り返し、ボクの手の中で、達した。 後始末をして手を洗い、もう一度進藤の部屋に戻る。 「じゃあ帰るよ。北斗杯頑張ろう。」 やはり答えない進藤に、悪戯心でもう一度キスをした。 今まで通り反応はなかったが、少し悔しそうな表情に見えてボクは満足した。 北斗杯までにまた来よう。 どんなに形勢不利に見えても、どこかに必ず活路はあるものだな、と思った。 −了− ※何て言うか・・・二人とも性格悪いですね。 |
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