047:ジャックナイフ
047:ジャックナイフ








ボクは今、進藤の家に向かって走っている。



事務局の人から、進藤が北斗杯の予選に出場しない意向を示したと聞いて取りあえず
対組表から外すのを待ってくれるようにお願いして、すぐにタクシーに飛び乗った。


今年は去年の北斗杯の出場者、つまり進藤、社、ボクは一回戦だけシードされている。
そう、今年はボクも予選に出場するのだ。
でも、進藤とボクは堅い、と思っていた。

なのに。

またキミは、碁から・・・ボクから、逃げるのか。





彼の学校の図書室まで追いかけた事を思い出す。
あの時は、ボクの言葉が功を奏したのかどうかは分からないが、彼は棋界に戻ってきた。
今回だって、きっと放っておいても戻ってくる。

戻ってくるはずだ。
だけど。

走らずにはいられない・・・。








進藤の家に着くと、切れた息を整える間も惜しんでインタホンを押す。
すぐにやさしそうなお母さんが出てきた。


「あら・・・塔矢くん。」

「進藤・・・いや、ヒカルくんはいらっしゃいますか。」

「ええ。どうぞ。二階に上がってちょうだいな。」


のんびりしたお母さんに少し苛立ちながら、二階へ上がる。
初めて入った明るい部屋に、進藤は、いた。








入って左手にベッド、右手に学習机。

部屋の真ん中には・・・、碁盤が置かれている。




「あれ?塔矢。どしたの?」


彼はあっけないほど普段通りの反応だった。
拍子抜けするほど、明るい笑顔だった。


「どうしたって・・・キミが・・・、」

「あ、北斗杯の予選の事?」

「その通りだ。」

「オレ、出ないよ。」


そんな、普通にあっさりと・・・。


「!・・・どういう、事だ。」

「そうだな。しばらくバイトでもしてみて、どこか適当な所に就職する。」

「・・・・・・。」

「ごめんな。オレ、もう碁を打たないことにした。」

「何故!」

「説明しなきゃなんない?オマエに?」



ボクには聞く権利が!

ある、だろうか・・・。

でも、だけど、だって、キミはずっとこの道を歩くと、ボクと同じ道を、



「・・・あははっ。冗談だよ。やっぱ気になるよな。」

「ああ。それに。」


部屋の真ん中の碁盤に目をやる。


「うん。碁を打たないってのは嘘かな。プロ棋士をやめるって感じ。」

「では、どこで打つんだ。」

「この部屋で。」

「?」

「この部屋で、たった一人とだけ、打つ。」


その一人というのは・・・ボク、ではないだろう、な。








「その相手は?」

「あのな。オレには恩人がいたんだ。一から碁を教えてくれた人。
 その人がいなくなった時、オレもう碁を打たないから帰ってきてくれないかな、って
 ずっと思ってた。」


恩人・・・が姿を消すというのはどういった状況だろう。
旅行?療養?
だがしかし、進藤が碁を打たない事とその人にどんな関係があるのだろう。
その人とは、一体。


「だけどな、」


進藤の目が妖しいほどに輝く。


「その人が帰ってきてくれたんだ!」


後ろを向いて、な、と頷く。

迂闊なことだが、
ボクはこの期に及んでやっと彼が正気を失っていることに気付いた。








「オマエには見えねーだろうけどさ。」

「ああ・・・見えないね。」

「オレにとっては誰よりも大切な人で、ずっとずっと一緒にいたんだ。」

「・・・・・・。」

「そんでこれからも一緒なんだ。だからその為には、」



もう外で碁を打たない。
この部屋で佐為とだけ、打ってる。
神の一手を極めるのはこの世の誰でもなく、

佐為と、オレだ。



「sai・・・。」

「ああ、言ってなかったっけ?saiってのは碁打ちの幽霊。」

「・・・・・・。」

「オマエと最初に打ったのも、ネットで塔矢先生と打って勝ったのも佐為なんだぜ。すげーだろ。」

「ああ・・・凄いね。」


それが本当だとしたら。


「その『sai』の幽霊が、帰ってきたと言うのか。」

「ああ。」


気付いていないのか、進藤。
キミの笑顔は、酷く明るく、酷く虚ろで、


「・・・では、その『sai』とボクを対局させてくれないか。」


焦点が、会っていない。
でも打てば分かる。彼の心の中が。


「ダメだよ。佐為はオレとしか打たない。オレも佐為としか打たない。」

「それで神の一手を極められるものか。」

「大丈夫さ!オレはともかく、佐為なら。」


それからは、何を言ってもにこにこしながら時折後ろを振り向き、
困ったように、そして幸せそうに笑っていた。







「・・・ずっと、会いたかったんだ。」

「・・・・・・。」

「会いたくて、会いたくて・・・でも諦めて。」

「諦め、たのか。」

「うん。・・・オマエが言ってくれた。オレの碁の中に、佐為がいるって。」


・・・・・・・・・。


「だから、それでいいって。オレが打ち続ける事が、佐為を生かすことだって、
 そう思ってた。」

「それでいいんじゃないのか。」

「ふふふっ。佐為がいなきゃな。」


また、怖い、笑顔。


「キミが他人と打たなければ、その人は側にいてくれるのか。」

「ああ。そう言ってる。」

「嘘だ!」

「な、なんで?」

「その人はキミに碁を教えたんだろう?」

「だからそうだって。」

「碁は、一人では打てない。」

「だから佐為とオレが・・・。」

「二人だけで打っていて、強くなれるはずがないだろう!」

「んなことねーよ!」

「いくら強い人とでも一人の人とだけ打っていては、その人は越えられない。
 ボクはそれを知っている。」

「・・・・・・。」

「その人は、そんなこと望んでいないだろう?」

「・・・だけど。」


進藤はもうほとんどボクの方を見ない。
不安げに斜め後ろを見上げて、笑顔や不安げな顔や泣きそうな顔を目まぐるしく繰り返す。

怖い。
壊れかけているコンピュータのように思えた。







「塔矢。帰って。もう。」

「ボクは、」

「ダメ。オマエがいると、佐為が落ち着かない。」

「その、斜め後ろの人か。」


進藤は目を見開いた。


「見え、るんだ。」

「男の人だ。」


勘だった。



「すげえ!ホントに見えるんだ!ってか、あははっ!ヘンだろ。男なのに女みたいでさ。」

「・・・・・・。」

「良かったな!佐為。・・・・・・ホンットに嬉しそうだな。」

「・・・ああ。」

「今まで絶対オレしか見えなかったからな、あ、もしかしてその内実体化しちゃうかもよ?」


・・・嬉しそうなのは進藤だ。
こんなに嬉しそうな、楽しそうな進藤を見ていると、このままの方が幸せかも、だなんて、
いや・・・・・・違う。
そんな訳、ない。
とにかく引き離さなければ。
この部屋から出なければ。


「進藤、少し外を歩かないか。」

「ああいいよ。オマエがいれば佐為としゃべっても独り言言ってるように見えないもんな。」


着いてくるのか・・・。その霊とやらは。

ボク達は家を出て、近所の公園に向かった。








進藤はほとんどボクを無視してずっと『sai』を見ていた。
その瞳はどこか不安そうで、『sai』がいなくなったらどうしよう、オレ生きてけない、と
言っているようだった。


『sai』が何なのかは分からない。
進藤のもう一つの人格なのかも知れないし、
実際以前いた人で、彼はその人を慕う余り幻影を見ているのかも知れない。

だが、ともかく今はいない事は確かだ。
そんな居もしないモノに進藤の碁を・・・進藤を、盗られて堪るものか。


公園に着いてベンチに座ると、進藤は携帯碁盤を持ってくれば良かった、と言った。
勿論ボクと打つ為ではない。


「いっつも部屋で打ってるもんな〜。」

「・・・進藤。」

「かといって碁会所なんか行って一人で打ってたらヘンだし、周りが放っておいてくれないだろうし。」

「進藤。」

「あ、ネットカフェってどうだろ?ネット対局してる振りして実は佐為とオレで打ってんの。」

「進藤!」

「そういうの出来るかどうか知ってる?塔矢。」

「目を覚ませ。」

「何。何言ってんの?」

「『sai』なんか、いないだろう?」



「いるじゃん。ここに。」





その時感じたのは、恐怖か怒りか。
多分、その両方。


「・・・・・・『sai』。」

「うん。」

「『sai』さん・・・。」

「え、と、塔矢?!」



ボクはベンチを立って進藤の前に膝を折り、手を突いた。



「塔矢・・・どうしたの?」

「『sai』さん。お願いです。どうか。」


何もない進藤の斜め後ろを見上げながら言う。


「どうか、進藤を返して下さい。進藤を、連れていかないで下さい。」

「な、何言ってんだよ!止めろよ!」

「どうか・・・。」


地面に額が付くほど頭を下げる。
何をやっているんだボクは、と思うが、止められない。
だって他に方法が、


「止めろよ!立てよ!・・・・・・って、さ、佐為?!」


伏した目の前に、立ち上がったらしい進藤のスニーカーが動く。


「何、どうしたんだよ!おい、塔矢、取り消せよ!」

「すみません。でも、行って下さい。」

「いやだ!佐為!佐為!佐為!」


進藤が異常に慌てふためいている。
『sai』が、去ろうとしているらしい。
こんな事で効果が有ろうとは、自分でも思っていなかったが。


「塔矢!佐為が行っちゃう!一緒に止めてくれよ!」


進藤はボクの腕を掴んで引きずり起こそうとした。
だが、ボクは地面に膝を突いたまま動かなかった。



「行くな・・・行くな行くな!行くな!佐為ーーーっ!」


上方を見上げる進藤。


「無駄だ、進藤。」

「んなことねぇ!何言ってんだよ!佐為!」



待ってくれ、佐為!



人気のない公園で声の限り叫ぶ。
もし誰かに見られたら、芝居の練習でもしているように思われるだろう。

いや
実際それと何が違うと言うのだ。


やがて・・・・・・。

力一杯伸ばされた腕が、力を失った。






「佐為・・・。何で。・・・せめて、オレも一緒に連れてって、くれよ・・・。」


ぽたり。

地面に落ちた黒い丸。

ぽたりぽたりと増えて、丸が繋がり、歪な模様を形作る。
ボクは俯いてそれをじっと見ていた。



「何で、オマエなんだよ。」

「・・・・・・。」

「何で、いつもいつも。」

「・・・・・・。」

「前だってオマエに会わなきゃ、オレは自分で碁を打ちたいなんて思わなかった。」

「・・・・・・。」

「オマエがいなきゃ虎次郎みたいにずっと佐為に打たせて、オレは、」

「・・・・・・。」

「オマエさえ、いなければ、」


進藤は思いきりボクの脇腹を蹴った。


「・・・っ!」


目の前に星が散るほど痛かったが、それよりも進藤の目が光を、正気を取り戻しているのが
嬉しかった。



「オマエが、いつも邪魔を、」

「っつ、」

「佐為とオレの邪魔を、」


蹲ったボクを、何度も蹴り続ける。
ボクは抵抗しなかった。

偶々通りかかった人が止めるまで、彼は腹と言わず背中と言わず力任せに蹴り続けた。


「・・・大丈夫、ですから。ちょっとした喧嘩です。」


言いながらも顔が歪んでしまう。
肋骨にヒビでも入っていなければいいが、とだけ思った。

実際家に帰って風呂にはいると胴が痣だらけで痛んだが、
見える場所ではなかったので安心した。






それからの進藤は強かった。
ボクと当たるまでもなく圧倒的な力で他の若手棋士をねじ伏せ、北斗杯への出場権を手に入れた。

しかしボクとは一切話をしないし、目を合わせる事もない。

『sai』と話していた時の幸せそうな笑顔を思い出すと胸が痛む。
あの時強引に進藤の中の『sai』を追い払ってしまったのは、彼にとってどうだったのかと。

だが、もし神様がいて時間を戻してくれたとしても、きっとボクは同じ事をするだろう。

ボクが頼んだくらいで『sai』が去ったくらいなんだから、
進藤もどこかでそれが永久に続くことだとは思っていなかったに違いない。


それに何より、ボクが進藤と、打ちたいんだ。







−了−






※一応終わってますが、続きます。
  続いてる割にがらっとカラーが変わるんで御覚悟を。

  ああ、何がジャックナイフって
  「牽引車とトレーラーとの角度がつき過ぎて、接触してしまうことを『ジャックナイフ』と呼ぶ」
  そうです。直進時には起こらない。
  曲解に曲解を重ねて、追う者と追われる者が接触してしまう事、にしました。

  本当は英語のジャックナイフってもっと何かの隠語的だった気がするんですが、忘れた。


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