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006:ポラロイドカメラ 釣りを、するだけのつもりだったのだ。 それなのに進藤は今、ボクの上に跨って両の手首を押さえ込んでいる。 進藤に、したくもない釣りに強引に誘われた。 恐らく「伊角さん」も来るのだろう、と思うと、何となく気が重かった。 進藤が振られる所を見たくない。 というか、伊角さんを見つめる進藤を見たくない。 「いいんじゃないか」などと軽く言った割に、 ボクは気持ちの整理が付いていなかったのかも知れない。 見たこともないような醒めた目をして、顔を下ろしてくる。 恐怖に身が竦みそうになるのをこらえて、精一杯睨み返す。 だけれども当日行ってみれば二人きりで。 他に人は来ないのかと聞いたら肯定するのを、少し安心して聞いた。 免許取りたての進藤が、買いたての自動車を運転する。 少し怖いと思ったはずだが、閉じられた空間は妙にリラックス出来た。 空は快晴、海辺のドライブ。 そんなCMみたいな時間を、ボクはとても楽しんでいた。 ・・・唇がゆっくり下りてくるのを嫌って思いきり顔を背ける。 それでも進藤の口は進路を変えずボクの耳に当たり、それを飲み込もうとする。 海ではほとんどと言って良いほど釣れなかった。 偶に進藤がワカメや地球を釣って、二人で子どものように大笑いした。 子どものように大笑いしたじゃないか。 ボクは本当に、楽しかったんだ。 だから進藤が夜釣りもしてみようと言っても拒まなかったし 遅くなったから、モーテルで悪いけど少し休みたい、と言われても仕方ないと思った。 「何故だ・・・。」 ちゅぱ、と下品な音をさせてボクの耳から唇を離した進藤が、またじっと見つめる。 「オマエ、ちょっと潮の味がする。」 ベッドサイドには進藤が持ってきたポラロイドカメラと、それで撮られた二枚の写真が 置かれている。 一枚は初めて釣り竿を持って困ったような顔をしているボク。 もう一枚はワカメをぶら下げて大物を釣り上げたように誇らしげな顔をしている進藤。 部屋の中でこんな所でカメラなんか取り出してどうするつもりだ、と聞いたら、 「オマエの裸を撮る。」と事も無げに言って服を着たままのボクをベッドに押し倒したのだ・・・。 「・・・言ったよな?オレが男好きだって。」 ああ、聞いた。聞いたとも。 でもそれは特定の誰か、というニュアンスだったじゃないか。 「じゃあ、どうして着いてきたの?危ないと思わなかったの?」 「キミが、こんなに節操のない男だとは思わなかったからだ。」 マウントポジションを取られて、両手を頭の上で固定されて。 こんな恰好で凄んでも怖くも何ともないだろう。 「節操がない?」 「好きな・・・」 ・・・男じゃなくてもいいってことだろう? と、言いかけて何かがひっかかり、一旦言葉を切る。 何と、続けるべきか。 その人が好きというよりは男の体が好きだって意味だったのか、と? そうじゃないだろうキミはあんなに幸せそうに笑っていたじゃないか、と? だったら好きな男を釣りにでも誘ってみればと・・・。 ・・・! ・・・言ったのは、ボクだ。 「・・・顔が赤いよ。」 「・・・・・。」 「もしかして、今気づいたんだ。」 好きな、男を釣りにでも誘ってみればと。 「気付いてないとは思ってた。でもオレ男が好きだって言ったよな? そしたらオマエ、いいんじゃないかって言ったよな?」 言ったけれども。 それは自分の事だとは全く思われなくて。 そんなことをいきなり言われても混乱するばかりで。 「・・・それと、これとは別だ。」 「ズルい。」 「・・・・・。」 狡いよ、ボクは。 キミが男に振られるのを望んでいながら、そんな所見たくなかった。 伊角さんに、ボクの知らないところで上手に振ってくれ、って思ってた。 「・・・・・。」 「なーんてな。」 「?・・・」 進藤はいきなり明るい声を出し、手を離して上体を起こした。 ボクは意識するともなく掴まれて痺れていた手首をさする。 冗談、だったのだろうか。 でもそれにしては。 「分かってた。」 進藤が俯いて自嘲気味に笑う。 あの、寂しそうな笑顔。ボクが進藤の告白を聞いて固まってしまった時に見せたような。 彼が冗談を言っているのではないと、理解せざるを得なかった笑顔。 「オマエにとってオレはライバルで。 ただそれだけで。絶対オレの物にはならない、って。」 その通り。 ではあるけれど、その事実が進藤を傷つけるのが、苦しい。 「大丈夫だよ。何もしない。」 「・・・・。」 「オレ、オマエに惚れてんだぜ?」 「そ・・・・・。」 「まあ本気で抵抗されたら何かしたくても出来ないし。」 「・・・・・。」 「だから、一枚、写真撮らせて。一枚だけいい。それで諦める。」 「・・・別に、さっきも撮っただろう?雑誌にも写真載ったことあるし。」 「嫌なんだ。誰にでも見せる顔じゃなくて、オレだけのオマエの写真が欲しい。 ・・・だから、脱いで。」 脱げって・・・。やっぱり裸を? そんなものどうするつもりだ、って、それはやはり・・・。 気色悪い。 キミは、ボクの裸を見ながら・・・。 例え写真でも自分の裸が男の精液にまみれて行くのを想像するのはゾッとするし、 くしゃりと丸められて捨てられるのかと思うと不快だ。 しかしボクの沈黙を何と取ったか、進藤は早口で言葉を次ぐ。 「大丈夫、ポラだからネガも残らない。絶対誰にも見せないし、 何十年か経ってオレが死ぬ前には必ず燃やす。」 ・・・捨て、ないのか。 というかそんな、男の裸の写真を後生大事に生涯持っているつもりか? キミは、一生写真の中のボクを、愛し続けるつもりなんだろうか。 「だから、お願い。」 人に必死に物を頼むときに、そんなに笑う奴があるか。 しかも笑いながら、 そんなに目にいっぱい涙を溜める奴が、あるか。 「・・・分かったよ。だからどいてくれ。」 進藤は体重を移動するフリをしながらTシャツの肩で目を拭った。 バレバレだ。 「全部脱ぐ?」 「・・・うん。出来れば。」 男の前では裸になる事に対して恥ずかしさは感じない。 人前で肌を曝すのははしたないとは思うが、相手が望んでいる事だったらその限りではない。 ベッドに座ってシャツの釦を外し、袖を抜くと、潮の香りがふわりと漂った。 立ち上がってゆっくりとベルトを外し、ズボンの釦を外し、ファスナーを下ろす。 進藤の視線を痛いほどに感じながらズボンを下ろすと、髪が頬に掛かってベタついた。 人前で全裸になるなんて何年ぶりだろう。 「座ったままでいい?」 「うん・・・・。」 進藤は部屋の隅で胸元にカメラを構え、ベッドに無造作に腰掛けたボクを見つめた。 「・・・嘘みたい。」 「何が。」 「この状況も、オマエも。」 「キミが望んだことだろう?」 「そうだな。ていうかオマエって・・・脱いでも凄く、その、キレイなんだな。」 「余計なことを言うな。」 カメラが、進藤の胸元からゆっくりと顔の方に上がっていく。 ボクのヌードを撮るために。 もしかしたら、そのために、その一枚の写真を撮る為だけに購入されたかも知れないカメラ。 今時、ポラロイドカメラの特性と言えばデータが残らない、それだけなのだから。 進藤が息を詰める気配がする。 シャッターボタンに指が掛かる。 静かな室内。 それは、死刑執行の直前のような空気。 次に音がするときは。 ポラロイドカメラが用済みになる時で、 進藤の恋の息の根が止まる瞬間でもある。 次に音がすれば。 きっと進藤は約束通り生身のボクを諦めて今まで通りのライバルに戻り 何事もなかったように一生が過ぎていくのだろう。 ただ一枚の写真を心の底に仕舞って・・・・・。 「ちょっと待って!」 「え・・?何?」 「潮で体がベタベタするんだ。先にシャワーを浴びさせてくれ。」 「?・・・・でも?」 写真なんだから関係ないって? そんなことないよ、きっと今撮ってしまったらずっとその写真は潮風の匂いがするよ。 そんなの嫌だろ?ボクだって嫌だよ。 「待っててくれ。」 逃げるようにバスルームに入る。 いや、なんだかよく分からないんだけど、今すぐ頭を冷やしたくて。 少し考える時間が欲しくて。 熱いシャワーで身も心も溶かしたい。 ユニットバスの中でしゃがみ込み、熱い雨に身を晒す。 顔に髪が貼り付くのが気持ち悪くなってきて掻き上げ、目を閉じて額を天に向ける。 今日で進藤の恋は終わる。 訳ではない。 ボクへのアプローチを止めると言うだけだ。 だとしたら、本当に終わるのはいつだろう。 ・・・馬鹿馬鹿しい! シャンプーを手にとっていつもより乱暴にガシャガシャと髪を洗う。 意味もなく勝手に浮かび上がる過去の思考の断片。 笑いながら、そんなに目にいっぱい涙を溜める奴が、あるか。 狡いんだよ、ボクは。 伊角さんに、ボクの知らないところで上手に進藤を振ってくれ、って思ってた。 ああ進藤、碁打ちだって白状してしまっているよ。 きっとその人のことが本当に好きなんだろうな・・・。 熱い湯で、下らない思考や記憶や潮風や、何もかもを洗い流す。 この後。 濡れた髪で、清潔な体で進藤の前に出たら、彼は写真を撮る前に何かしたくなるかも知れない。 そんなの嫌だ。 もしかしたら何も無かったようにさっきの続きでカメラを構えるかも知れない。 それも、嫌だ。 今が終わるのが嫌だ。 何かが始まるのが嫌だ・・・。 でももう、時間稼ぎも限界だ。 どうすれば。 ・・・・・そうだ! ボクが出たら、進藤にもシャワーを浴びるように言おう。 そうすればもう少し時間が稼げる。 その後のことは、その後のことだ。 立ち上がってシャワーのコックを捻ると、浴室に静寂が訪れた。 −了− ※素直になってほしいアキラさん。 |
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