005:釣りをするひと
005:釣りをするひと










碁会所で進藤と打った後検討していると、市河さんがお茶とお菓子を持ってきてくれた。


「少し休んだら?」

「あ、ありがとう・・・。」


そう言えば今日は長居をしている。気を遣わせてしまったな。
平日の昼間だから空いているというのもあるだろうがお菓子まで持ってきてくれるのは
あまりあることではない。
進藤を見るとまだ気付かず盤面に見入っている。


「進藤。」

「・・・え?何?何か言った?」

「市河さんがお菓子を持ってきてくれた。少し休もう。」

「ああ。」


上体を起こして「ううー。」と呻きながら伸びをする。
お茶に手を伸ばしながらもまた目はすぐ盤面に戻り


「ここがなぁ・・・。コイツが。」


と黒石をつつく。
それでは休む意味がないじゃないか。


「ちょっと頭を切り換えよう。碁の話はしばらく置いておかないか。」

「・・・・・そうだな。」


と言ってにかっと笑った。






とは言うものの、いざ碁でない話をしようと思ったら、なかなか思い付かない。


「そういえばこの間の棋聖戦、」

「おい、碁の話はしないんじゃねえの?」


ボクが言ったのは先の検討の話という意味だったので充分休んでいるつもりだったが
進藤の方が切り換えが早いと認めるのも嫌なので、黙ってしまった。


「・・・・・・・・。」

「・・・・・・・・旨いな。この煎餅。」

「ああ。」


旨い。でも有名な銘柄で初めて食べた物でもなし、
「やはり旨い」という以外の感想が湧かない。


「・・・・・・・・・。」

「・・・・・・・・あのさ、オレ達って碁の話しないでおこうと思ったら話題がないのな。」

「・・・そうだね。」


言いにくいことをずばりと言う。
確かにそれはその通りで、主にボクが碁以外の話が出来ないからだと思うが
ボク達には話題がない。
ボクにとっての進藤は碁が全てで、思えば進藤自身の事は何も知らない。

でもそれで困るような間柄ではないから、それで良いと思う。
棋士同士の付き合いなんて多かれ少なかれこんなものではないかと思う。


「いいんじゃないか?こんなものだろう。」

「うーん。それもそうなんだけどさ。何か寂しいじゃん?」

「そうか?」

「そうでもないか?まあ折角だから何かしゃべれよ。」

「何かって。」

「オマエ自身の話とか。」

「ボク自身と言われても碁以外は特に・・・。」

「だーっ!オマエってホントつまんない奴。」

「悪かったな。」

「じゃあ進藤くんのとっておきの秘密を教えて上げよう。」

「はあ。」

「オレな、実は男が好きなんだ。」




?!

・・・・・・・・うわ。

いきなり何を言い出すんだ。
かなり驚いた。
驚きすぎて全く表情を変えることが出来なかった。

冗談だろうか。でも「冗談だろ?」と言って本当にそうだったら、これはとても失礼だ。
かといって鵜呑みにして冗談だったらこっちがバカみたいだ。

進藤が「なーんちゃって。」とか言わないかと思ってしばらく見ていたが
微笑んでいるもののふざけている雰囲気ではなかった。


「・・・そうか。」

「驚かねえの?」

「いや、かなり驚いたよ。」

「なら驚いた顔しろよ。」

「ボクに面白いリアクションを期待しないでくれ。」

「はっはっは。そうだな。でもホントはびっくりしすぎてたんだろ。」

「まあね。」

「そうだよなぁ。いきなりカミングアウトされてもなぁ。」


俯いて少し寂しそうに笑う。
ここに至ってボクは本当に、冗談ではないのだと理解した。


「・・・で。」

「ああ。」

「オマエは気持ち悪いとか思った?」

「いや、人それぞれなんだから別にいいだろう。」

「・・・・・そっか。」

「でも狭い世界だし、年配の方にはそういうのに偏見を持っている人も
 いるだろうからあまり吹聴しない方がいいな。」

「うん。言ったのオマエが初めてだよ。」


・・・・少し、嬉しかった。


「・・・昔から?」

「いや、最近さ、好きだなーと思うのが男なんだ。」


最近、ということは中学の同級生ではない可能性が高い。
ふと。
伊角さんという、院生上がりの人の顔が浮かんだ。
個人的にはよく知らないが、誰が見ても好青年という感じの人で・・・。





プロになった進藤が碁を打たなくなったきっかけは知らないが。


「何故また打とうと?」

「ん〜。色々あったんだけどさ、オレの次の年にプロになった伊角さんって知ってる?」

「ああ、顔だけは。」

「伊角さんが心配してオレん家まで来てくれて一局打ったらさ、」

「・・・・・。」

「なんか打ちたいなーって。打ってもいいのかなーなんて。」

「そうなのか。」

「うん。きっかけって言ったらそれがきっかけ。」


そんな会話をしたことがある。

ボクだって。
ボクだってどれほどキミの碁に焦がれ、どれほどキミにやめて欲しくなかったか。
ボクだって。
キミの学校にまで行ったのに。

ボクには出来なかったことを。

進藤に碁を再開させることが出来た伊角さん。

彼には感謝すべきかも知れない。
でも。





「その人って。」

「ん?」

「碁・・・いや、ええと、かっこいい人なのか?」

「ん〜。いい男だよ。」

「そう。」

「礼儀正しいし誰からも好かれそうかな。」


そうだね。彼を嫌いになる人なんていなさそうだ。


「でも腹ん中はわかんない。時々打ってるとき怖い目するし。」


ああ進藤、碁打ちだって白状してしまっているよ。
言わないでおいてやるが、本当に気を付けた方がいいな。その口は。


「そうだなぁ。あんまり仕事以外で趣味なさそう。」

「スポーツとか。」

「スポーツ!しそうにないなぁ!野球とかやってたら笑うだろうなぁ。」


本当に嬉しそうに笑う。
きっとその人のことが本当に好きなんだろうな・・・。


「何が似合うって、せいぜい釣りくらいか。」

「釣りが好きなのか。」

「いや、そういう話聞いたことねえけど、じーっと糸を垂れてるのが似合いそう。」

「物静かな人なんだね。」

「まあ普段は大体な。こう、和風というか。」

「今度釣りに誘ってみたら?」

「・・・そだな。そうする。」


伊角さんを見る限り、キミの恋は成就しそうにないように思う。

そのせいでキミを嫌ったりはしないだろうが、困った顔をすると思う。
キミを傷つけたくなくて苦しみそうだが、それでも受け入れることはないと思う。

可哀想だけれど、少しホッとする自分がいた。

別に、キミと伊角さんが付き合ったって構わないけれど。
いやでも付き合うってことはそれはつまり男同士で・・・。

・・・やはり進藤が振られて欲しいと思ってしまった。






その日はまた少し検討の続きをして、途中まで二人で帰った。
思いがけない進藤のカミングアウトによって少しボク達の距離が縮まったような気がする。
ほんの少しだけれど。


「じゃあな。」

「ああ。」

「あ、そうだ。オマエは?」

「?」

「オマエは釣りしねえの?」

「ああ、ボクはしない。」

「・・・そうなんだ。」




進藤は一体何がおかしいのかくっくっと喉の奥で笑いながら去っていった。




−了−







※気付け。アキラさん。

















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