067:コインロッカー(後編) ◇ 頭がおかしいんじゃないかこの男は。 ベッドに倒れ込んだまま、殴られた唇の端を舐めると血の味がした。 呆然と横たわったボクに、男は繰り返した・・・500万。 身代金としてはあまりにも安すぎる気もするが借金の額か何かなんだろうか。 勿論ボクがもっと強くなってタイトルでも狙えるようになれば何とでもなる金でもあるが 生憎と今の自分からすれば途方もない金額ではある。 上手く身代金を受け取れたとして、ボクは無事に帰れるだろうか? ただ金を受け取っただけなら、きっとボクを殺してどこかに捨てるに違いない。 絶対現金と、ボクを引き替えにさせなければならない。 この犯人(もしくは犯人達)はその辺まで考えているのだろうか。 考えていないとしたら大変だ。 短時間に、犯人が「これなら間違いなく安全に受け渡しが出来る」と思う程の方法を自分で考え 尚かつ説得しなければならない。 人殺しがいかにリスキーで、後味の悪いものであるか。 それに比べたら、多少面倒でも殺さずに返した方が断然いい、と思わせなければならない。 とにかく、冷静にならなければ。 ◆ 取り敢えず全裸で横たわっていると肌寒い。 脱出防止の意味もあるのかも知れないが、その為に服を切られては困る。 それに、男に果物みたいにちょきちょきと剥かれるなどと考えるだけでおぞましい。 服を脱いだ後は、何をされるか分からないと一通り覚悟したが、彼はベッドから離れ 椅子に座ってじっと見つめているだけだった。 「あの・・・。」 「何。」 「何もしないんですか。」 「まず、見させてくれよ。ずっと憧れてたんだから。」 「・・・・・・。」 「服の下の白い肌を、ずっと、ずっと、想像して、ずっと・・・、」 思わず耳を塞ぐ。 やはりおかしい、この男。 さっきから言っている事が支離滅裂だ。 気持ちが悪いが、ボクは今刃物を持った気違いを相手にしているんだ。 刺激しないに越したことはない。 とにかく、冷静に。 ◇ 「・・・仲間はいるんですか?」 男は動かない。 考えていないのか・・・答える必要がないと思っているのか。 こうしてただ待っている所を見ると、仲間がいるのかも知れない。 そして既に家の者に連絡を取っているのかも知れないが・・・。 それは少し拙い。 連絡の回数は少ない方がいい。 特にうちなどは、500万ぐらい用意するのにさほど時間が掛からないと思うから 一回で済ませようと思えば済ませられるのだ。 まずボクが電話して、ボク自身が穏便に取引を済ませたいと望んでいる事、 そしてその日時と場所さえ言えば、恐らく警察に言わずに取引してくれる。 それをまた犯人に信じさせなければならないわけだが・・・。 ドラマなどで見る限り、犯人がボクを離した途端にこっそり包囲していた警察が 飛びかかるというのは有りそうなことだ。 それは犯人も予測しているだろう。 その対策も、ボクが考えなければならない訳か・・・。 安全に金を受け取り、逃げる暇を作る。 と同時にボクも引き渡さざるを得ない状況を作る・・・。 ◆ 「あの・・・トイレに行かせて下さい。」 「どうぞ。」 急に生理現象を催して、少し躊躇いながら頼んでみたのだが、男は軽く立ち上がった。 ポケットから小さな鍵を取り出して近づいて来る。 手錠が外されると共に男を殴り倒して、昏倒している間に着替えて・・・。 などと妄想したが、テレビドラマじゃあるまいし、そんなことが簡単に出来る筈がない。 結局手錠を外されて、ベッドの縁から外してまた前ではめられて、 その間もボクは大人しく従っていた。 入り口近くのドアに押し込まれると、そこは狭いユニットバスだった。 用を足している時にまで監視されたらどうしようかと思っていたが、男はドアを閉めてくれた。 手錠をしているし、第一窓がないから逃げられやしないと油断しているのだろう。 だがボクは知っている。 こういう集合住宅の水周りには、必ずと言って良いほど天井裏に上がれる穴があるのだ。 あった・・・! 丁度トイレの上だ。 手早く用を足し、便器に蓋をする。 割れないようにそうっと足を掛けて上に立つと、思った通り手が届いた。 ここがどういった場所かは分からないが、建物丸ごとあの男の物という事は考えられないだろう。 もし天井裏から他の部屋へ行けたら(仕切りがあってもこの際ぶち抜いても許されるだろう) こっちのものだ。 住人がいれば助けを求めるし、いなくても電話が借りられる。 全裸だから逃げないと思ったら大間違いだ。 そうっと蓋の取っ手を回す。 簡単にカチンと開いて、蓋が重くなった。 手を離すとぶら下がって、少しだけ埃が落ちて来たがそんなことに構っている暇はない。 縁に手を掛けて、懸垂の要領で勢いをつけて上がる。 ぶら下がって天井裏の暗闇に頭を突っ込むと・・・ 目の前に、あの男の笑顔があった。 ・・・あまりに驚くと人間動けない。 ボクはひっ、と息を吸ったまま固まっていたが、すぐに筋肉の限界を感じて そうっと足で便器の蓋をさぐり、出来るだけ音をさせないようにようようと下りた。 へたり、と浴槽にもたれて座り込み、黒く汚れた指先を見ていると改めてがくがくと震えてきた。 ・・・なんだったんだ? 生首のように、下から生えていた。 だが恐る恐るその首が乗っているであろう場所を見ても、何の変哲もない。 天井裏の薄暗がりの中の、動かない、笑顔。 しかしよくよく思い出してみると、のっぺりしていたような気がする。 合理的に考えて、恐らくあれは写真だろう。 と、分かっても怖かった。 そう言えば落ちてきた埃の量が少なかったのは、前回彼が開けた時に 大半落ちたのに違いない。 ボクが天井裏に行こうとするであろう事を予測して、自分の顔写真を等倍に引き伸ばして パネルにして予め置いておいた。 確かに簡単で効果的だ。 あの写真をどけて進んでも、この先も似たようなトラップがあるかも知れないと思うと もう二度と天井裏に行きたくない。 脱出しようという気持ちさえ萎えてしまう。 だが、あまりにもやり方が異常じゃないか? と同時に、彼が異常ではあっても頭が悪い訳でなく、 綿密に計画を練ってあらゆる状況を想定して手を打っているという証拠でもある。 怖い。 ボクはもう一度便器の上に立って、ちらっとでも写真を見なくて済むように目を逸らしながら 天井の蓋を閉じた。 そして便所の水を流し、丁寧に丁寧に手を洗った。 ◇ 「一つ提案していいですか。」 「・・・・・・。」 「ボクは生きて帰りたい。だけれど、その為にはあなた方の利益と安全も保証しなければならないでしょう。」 「・・・・・・。」 「だから、連絡は全部ボクにさせて頂けませんか。 あなた方が声を曝す必要はない。そしてボクがおかしな事を言えば、」 一息を吸う。これは賭かも知れない。 「すぐに殺せばいい。」 犯人を捕まえる事などハナから望んでいない。 ボクの身の安全が第一だ。 それは分かって貰えただろうか。 「大丈夫、ボクが安全である事を伝えて、警察に言うなと言えばうちの者は言いません。 それに、これは信じて貰えなくても仕方ないけど、ボクも戻ってからも何も言いません。」 男は首を傾げて考えている。 変なガキだとでも思っただろうか。 だが、ボクは大急ぎで考えた計画を、男に話す事にした。 「こういうのは早い方がいい。いきなり取引は明日と言うんです。 銀行が開いている時間なら、恐らくうちの者は用意します。 そして場所を指定してそこにお金を置いておかせる。 あなたはボクを連れてそこに行き、お金を確認して代わりにボクを置いて去る。 シンプルでしょう。」 「・・・・・・。」 「でも勿論犯・・・あなたが安全圏に逃げるまで、ボクの命はあなたが握っているんです。」 「?」 「何らかの方法で、遠隔操作でボクを殺せるようにしておく。」 「・・・・・・。」 「と。言うだけで実際にはそうしなくてもいい。」 具体的にどういう仕掛けか言わなくても、それで犯人に手を出せないはずだ。 あまりに単純と言えば単純だが、警察が介入しなければこの程度で十分だろう。 物事はややこしく考えるよりも、シンプルな方がまず上手く運ぶ。 「その為にも共犯者はいると言っておいた方がいいですが、・・・実際いるんですか?」 「・・・・・・。」 「まあ、どうでもいいですが。・・・ボクの電話を、貸して頂けますか?」 自分で自分の身代金要求をするのも馬鹿馬鹿しいが。 とにかく今はこの取引が成立するのを祈るだけだ。 「ああ、言い忘れました。取引の場所ですが。 ボクが逃げられない場所で、仕掛けがあったとしても他人から見られない場所、 けれどあなたが逃げやすい人の多い場所を考えて・・・。」 自分で言うのは嫌だが。 「幸いにもボクは体が小さい。 東京駅の、大荷物用コインロッカーに越智建設会長、越智康之介を呼び出してやりましょう。」 ◆ 男はボクの様子を見て、バスルームで何があったかを察したようだった。 だが、日が射したように微笑んだだけで・・・その明るさが余計に怖かった。 「ちょっと汚れたみたいだね?洗ってあげるよ。」 またバスルームに押し込まれ、今度は一緒に入ってきて腕まくりをする。 「ああ、埃かぶっちまって。キレイな髪が台無しだ。」 「・・・・・・。」 黙ったままのボクをバスタブに押し込み、嬉しそうに湯を掛けて、石鹸を泡立てる。 「幸せだなぁ、こうしてキミを洗えるなんて。」 「・・・・・・。」 「ほら、塔矢って若手の棋士とあまり話さないじゃないか。 オレも口下手な方だからさ、昨日みたいな集まりでもなかなか近づけなくて。」 こうなった今となっては、普通に集まりで話しかけてくれた方が嬉しかった。 だが確かに、もしそうされていたとしても、この印象の薄い人はあまり相手にしないかも知れない。 「一度話しかけようとしたんだけど、キミ進藤の方に行っちゃって。」 「・・・・・・。」 「実はこれまでも何度もそういう事があった。進藤といるとキミが近づいてくる。 キミがよく見られる。益々好きになる。 けれどキミの目はいつも進藤を見ていて・・・あいつになることが出来たら、と。」 「・・・・・・。」 「いや、あいつがいなければ、と。いつも思っていたよ。」 「進藤は!」 ・・・この変質者は、進藤を? 「関係ありません。偶々碁の話が合うだけで、好きでも何でもありません。」 男は、目を見開いた。 ずっと微笑している表情しか見せていなかったが、その初めて見る表情は。 「・・・・・・オレも、そうだと思ってた。・・・今までは。」 これまで以上にあからさまな狂気を孕んでいて。 にしゃり。 目を見開いたまま、笑う。 ・・・・・・。 ダメだダメだ、この男は、進藤を、 どうしてボクはこの変質者に、何を言ってしまったのだろう。 いや、どうしてこんな事になったのだろう。 昨日までは普通に仕事に行って、時間があれば碁会所で進藤と打って、 何不自由なく、平和に。 進藤。 ボクも、気付かずにいた。今この瞬間までは。 自分がこんなにも、あの男を。 「・・・進藤には、進藤だけには、手を出さないで下さい・・・。」 「・・・・・・。」 「どうか、どうか。」 ・・・ボクはあなたのものになりますから。 ずっとあなたのオモチャでもペットでもいいですから。 ◇ 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。 海外旅行に行くようなトランクでも入る、大きなコインロッカーの暗がりの中にボクは閉じこめられている。 ここに来るまではそれこそトランクの中だった。 苦しくて死ぬかと思った所で漸くこの場所に着いて、外に出てホッとする間もなく 男は鞄の中の札束を確認するとまたボクを閉じこめた。 ゴロゴロと動かないだけまだマシだという物だが。 頭上の棚から、「チッチッチッチ・・・」と不穏な音が。 携帯電話つきの時限爆弾だと言っていた。 いざとなったら、電話を鳴らすだけで爆破できると。 誰が本当に遠隔操作出来る殺人器具を置いて行けと言った! おまけに時限爆弾ってどういう事だ! 残り時間がどの位か教えて貰えなかったが、今にもテンカウントに入っている映像が常に頭に浮かび 額から汗が流れ落ちる。 返して貰って架けられた眼鏡がずるりと滑る。 扉の隙間からは、細く細く外の光が見えた。 ざわざわ、ざわざわ、 これだけ集まると風かせせらぎか、自然音のように聞こえる人の声。 薄い鉄板一枚の向こうには日常があるというのに。 ボクは爆弾と一緒にロッカーの暗闇の中。 大声を出したい。 扉をガンガンと蹴って、助けを呼びたい。 だが、もしかして男に仲間がいたら。そいつが本当に監視していたら。 そう思うと、指一本動かせない・・・。 ◆ 部屋に戻り、ベッドに横たわる。 軽く足を立てるとその男は覆い被さってきたが、強い力で抱きしめただけだった。 「?」 「キミは、オモチャでもペットでもないよ・・・。オレの・・・」 そう言うと立ち上がって、備え付けのクローゼットを開けた。 色々な用意をしている男だとは思っていたが。 ・・・そこには、あまりにも信じられない物が。 何着も入りそうなスペースを一着で占めて燦然と輝いている 純白。 まさか、これをボクに? 「・・・よく似合うよ。」 自分がこんなものを着る日が来るとは思わなかった。 好きな人が出来たら結婚。結婚するならウエディングドレス。 この男の妙にシンプルな思いこみと妙なこだわりがまた気持ち悪いが、逆らうのも恐ろしすぎる。 ボクがどうにかされるだけならばまだいいが・・・。 片手を手錠で繋がれたまま、不自由に着替えた。 屈辱に、涙が滲みそうになる。 「じゃあ、結婚式をしよう。・・・永遠の、愛を誓おう。」 ◇ どの位だろう。 気が狂いそうな程の時間が経ったと思う。 『・・2・85、と。ここじゃここじゃ。』 懐かしい声が聞こえた時、何かのトリックか幻聴だと思った。 ガン、ガチャガチャ。 「おお。康介!無事だったか!」 「おじいちゃん・・・。」 家族と会わなかったのはたった丸一日ほどだが、次の言葉が出てこなかった。 黙って外に出ると祖父が器用に縄を解いてくれる。 同じ姿勢を続けていたので節々が痺れている。 「よしよし、大変だったな、もう大丈夫だからな。」 「だ、大丈夫じゃない!この上に、時限爆弾が!」 「ああ?」 「逃げて!そして、警察に、爆弾処理班に、」 だが祖父は、顔をくしゃ、とさせて笑った。 「大丈夫じゃよ。この鍵を貰った時に、肝の据わったじいさんだと言われたよ。」 「??」 「さすがあのガキのじいさんだと。わしゃ鼻が高かったぞ、 誘拐犯にまで褒められるような孫を持って。」 「・・・え・・・。」 「だが、『肝が太過ぎて生意気だから灸を据えてきた、早く行ってやれ』とも言っていた。」 「・・・・・・。」 「こいつはプレゼントしてくれるらしいぞ。」 チッチッチッチ。 祖父が棚から取って、ぽん、と手渡してくれた時計の文字盤には。 ミッキーマウスが踊っていた・・・。 ボクは、東京駅のロッカールームで天を仰いで、手放しでわんわんと泣いた。 ◆ 「汝、塔矢アキラは、生涯他の誰をも・・・進藤も、愛さないと誓いますか?」 「・・・はい。」 「じゃあ次はオレだな。私、伊角慎一郎は・・・。」 ・・・そうだ。伊角だった、この男。 何度か訊いたが忘れていた。 そんなよく知らない男に女装させられ、指輪をはめられ、唇を奪われ、 押し倒されて。 「これでキミは、オレのものだ・・・。」 裾をゆっくりと捲り上げて、スカートの中に頭を潜り込ませる。 変態・・・! 「・・・ッ!」 太股に、唇が触れる。おぞましさ。 その後つつ、と足の肌の上を降りていく感触があって、 再び顔を現した伊角は、白い歯で青い紐のようなものを銜えて微笑んでいた。 「サムシングブルーって知ってるかい?アメリカでは花嫁の青いガーターベルトを 花婿が手を使わずに取るんだって。 それでそれを貰った友人の独身男性には素敵なご縁があると言われているらしいんだけど。」 「・・・・・・。」 「これは、進藤に上げようかな?」 サムシング・ブルー。 ・・・ボクの心を限りなくブルーにさせる、何か。 −了− ※◇の後は越智、◆の後はアキラさんの独白ですね。 同時に起きた誘拐事件、対照的な運命を辿った二人と思って下さい。 えっと、一応これで百題終わりです。 初めから、あるいは途中からお付き合い下さってたみなさま、お疲れ様でした。 ありがとうございました。 ・・・ヒカアキサイトでラストタイトルがこれって。 |
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