093:Stand by me








塔矢アキラが、日本を離れてもう10年にもなる。


17でタイトルを手に入れてしまった塔矢は、はっきりとは言わなかったが
日本は狭いと感じたのだろう。
塔矢行洋先生と同じく日本の棋界を引退し(って早すぎるだろ!いくら何でも)
まずヨーロッパに渡って何年か向こうの腕自慢と戦ったり後進を育てたり
そんな活動をした後韓国に渡った。

その頃にはもう高永夏が世界のトップではないかと言われていて、
二人が見せてくれた熱い戦いの棋譜はオレの所にも伝わっている。



オレはと言えば、そんな世界を股に掛けた塔矢をすげーなぁ、と思ったが
正直傲慢だとも思った。

日本は狭くなんかない。

せめてタイトルをぜーんぶちょちょいのちょいと総ナメにしてさ、
海外に目を向けるのはそれからでもいいんじゃない?

そんなオレはこの10年、自分にしては手堅い碁人生だったと思う。
塔矢があんなじゃなきゃ、ひらひら海外を飛び回ったり別の仕事に手を付けてみたり
そんな風だったのはオレかも知れない。

でも、オレは派手な仕事は引き受けず、地道に碁を勉強しつづけた。
そしてついこないだ本因坊を貰って、27で4冠。
悪くねーんじゃね?



12歳からの5年間、オレは塔矢が自分の生涯のライバルだと信じていた。
ずっと側にいて、何千局も打ち続けるんだろうと。

なのにあいつはあっさりと目の前から消えやがった。

そりゃさ、別に死んだ訳でも碁をやめた訳でもないし。
その気になればいつでも会えるし。
なのになんであんなに喪失感があったのか、落ち込んだのか、
その時は自分でも分からなかったけど。


今思えばショックの原因は、あいつがオレを
同じように見てくれてなかったってとこなんだ。


やっぱりライバルだと思ってたのは、オレ一人だったのね、というか。
結局オレなんて眼中になかったのか、って。

確かにオレより強い人はいくらでもいるけど。
でもちょっとはうぬぼれてたんだぜ、
塔矢アキラを捕まえられるのは自分だけだなんて。



だから出来るだけ塔矢を、韓国を視野にいれないようにして、
そんな鬱屈とした数年間も無事に過ぎ去っていって。

オレは本気で塔矢の事を忘れかけていた。
偶に話が出ても、へぇそうなんだ、よく知んねーけど、と無理に流したりする事もなく
普通に会話出来るまでに。



10年。

一人の人間を忘れるには十分な時間。

闇雲に上を目指していたあの頃とは違う。
追われるのはオレだ。
後ろからいくつもの恐ろしい足音が聞こえる。
若い才能。
今に至って急に伸びてきた、同期の奴ら。

だから塔矢なんていらない。

塔矢がいなくても日本の棋界は十分に楽しい。

本気でそう思えるようになってきた矢先のある日の出来事だった。




プルルルルル・・・


地方出張の帰り道、携帯が、シンプルな呼び出し音を出す。


「・・・はい。」

『やあ。』


親しげに響いてきた声に聞き覚えはない。
こりゃ間違い電話だな、とすぐに判断した。


「あの、どちらにお掛けですか?」

『進藤ヒカルさん。』

「・・・・・・。」


間違いじゃないのか、と思うと同時にフルスピードで記憶を検索する。
プライベートと仕事用と分けてるから、この番号を知ってるのは
棋院関係者と棋士仲間だけだ。

つまり、普段よく顔を合わせる面々だけという事だけど・・・。
う〜・・・ん・・・。


「すみません・・・あの、どちらさまでしょうか。」

『・・・・・・。』


ぼっ、ぼっ、と送話部に風の固まりが当たっているような音が聞こえる。
多分声を出さずに笑っているんだろう。
なんか気分悪いな。


『誰だと思う?』

「知るか!」


脊髄反射。
失礼なヤツには失礼で返すのがオレだ。
良くない癖だと言われるが、直すつもりはない。


『ヒント・・・この電話番号は、緒方さんに聞きました・・・。』


・・・・・・え?


「塔・・・矢・・・?か?まさか。」

『お久しぶりです。キミは、変わってないな。』


瞬間、時間の感覚がなくなった。





「今、どこ?」

『キミの家の近くの公園。』

「・・・って!日本に帰って来てんの?」

『ああ。』


歩きながら話す。
海外からだと思ったから、通話料どうなってんの?なんてちょっと気になったけど
近いならまあいっか。

つか、そんなに近くにいるなんて。
すぐには信じられない。


「そっか、オレ、丁度今帰る途中なんだ。」

『まだ実家?』

「うん。いっぺん一人暮らししたけどやっぱ面倒で。」


なに普通の話してんだろ。
中学の同級生に久しぶりに会ったような、当たり障りのない会話。


『そう。何だかそんな気がして近くまで来たんだけど、携帯に電話してみて良かったよ。』

「そうなんだ?会いに来てくれたの?」

『うん。』

「急だな。言ってくれればもっと早く帰ったのに。」

『ああそうだね。』


記憶にあるより低くて柔らかい声。
まだオレは訝しんでいる。
これ、ホントに塔矢か?
オレに対しては剃刀みたいだったあの塔矢が、『ああそうだね。』なんて言うだろうか。
って本気で疑ってるわけじゃないけどさ。


「あの、まだ時間ある?」

『うん?』

「家に戻るのにちょっと時間掛かるんだけど、待っててくれる?」

『ああ。勿論。こちらこそ夜遅くに済まない。』

「いや、全然いって。」


・・・これが世界のトッププロと日本のトッププロの会話か?
なんか情けねー。

てゆうか、あの、「塔矢アキラ」と。
する会話じゃねーだろ。
もっとほら、色々あるだろう。碁の事とか海外の事とかさ。


「いつ帰国したの?」

『今朝の便で。』

「ジャル?」

『いや、コリアンエア。』


いや、だから、そんなんどうでも良くて、
ほら、ほら、もっと言いたいこと。


「塔矢先生も一緒?」

『いや、父と母は来週帰国するらしい。今回は長く滞在すると思うよ。』

「ホントに国際派の一家だな。」


で、おまえは?
いつまで日本にいるの?

聞きたくて聞けない。
何故自分のスケジュールを気にするんだろう、なんて思われたくないし
とんぼ返りだと言われたらちょっと寂しいし。

あ、じゃなくて、もっともっと、言いたい事があった筈なのに
進む会話に考える暇もありゃしねえ。

言いたいことが何一つ言えない。
聞きたいことが、何一つ聞けない。


なのに電話を切ることが出来ない。
このまま家に向かっていればもうすぐ直接会えるのに、
どうしても切ることが出来なかった。

オレやっぱ、まだ信じてないんだ。

あの塔矢アキラが、側にいるなんて。
こうやって普通に会話出来るだなんて。

一度失ったものは、二度と戻ってこないような、そんな気がしてた。

だから自力でやっと這い上がったのにさ。
こんな風に急に戻ってきて。


おまえに言いたいことがいっぱいあるんだ・・・。


でも、それが全部言えたとしても
またいなくなるんだろ?

失うのは、怖いんだ・・・。

それなら二度と会えなかった方が良かったのにと思う位に。




そんな事を思いながら、電話する必要ないようなどうでもいい会話で
時間を埋めて、オレは夜道を足早に戻った。

けれど、件の公園が近づくにつれ、やっぱり怖くなってきた。

塔矢はいる。間違いない。
電話で話す内に落ち着いてきて、間違いなく塔矢だと思えるようになったし
下らない冗談をするヤツでもないから絶対公園で待ってるだろう。

あと少しで会える。

けど会うのが怖い。
会った途端に10年前の怒りや悲しみが溢れ出して、
塔矢に当たっちゃったらどうしよう。

それか、会っても今みたいに上っ面の会話しか出来なくて
距離が縮められなかったらどうしよう。

自分では思わないけど、お互い変わっちゃってて、
全然話が噛み合わなかったらどうしよう。

そもそもオレ、本当に塔矢に会いたいのか?
もう、ライバルなんかじゃない。
オレを切り捨てたあいつを、オレも切った筈じゃなかったのか?


一瞬本気で、そのまま知らんぷりして公園を通りすぎてしまおうかと思った。





『・・・進藤?』

「え、ん?」

『今どの辺?』

「えーっとな。」


児童公園の真ん中の外灯にもたれ掛かった背の高い影。
が、見える位の場所。

公園に似合わない黒っぽいスーツが、体に良く合っている。
全然知らない間柄でも、町で見掛けたら「お、かっこいいな」って
ちょっと思ってしまうような若い男。

その外灯、オレ昔ガムなすりつけたことあるんだけど大丈夫かな。
大丈夫か。20年近く前の話だしな。

しゃべってる間に声の記憶は修整されて、頭の中では十代の頃の
オカッパがしゃべってるような気がしちゃってたけどさ。


『あ、ごめん。もしかして電車の中だった?』


あの男前がこんなに子どもっぽいしゃべり方してると思うと
笑えるよな。
多分おまえは意識して昔通りのしゃべり方してくれてるんだと思うけど。


「いや、実は最初から電車は降りてる。」


じゃり、じゃり、じゃり・・・。
公園の砂利混じりの土を踏んで。

ゆっくり近づくと、外灯の下の影がこちらを向いた。


『・・・驚いたな。こんなに近くまで来ていたのか。』

「おまえが言うなよ。オレの方がびびったっての。」

『ああ。ボクもキミを驚かせるつもりだったからね。』


20メートル手前。
まだ直接話すには遠い。
そんな距離で立ち止まる。
お互い携帯を耳に当てて。
塔矢が、凭れていた外灯から一歩離れた。


「おまえ・・・でかくなったな。」

『キミもね。もしかして抜かされてるかも。』

「オレは完全に抜いたと思ってた。」


16ぐらいから20過ぎまでオレの背は飛躍的に伸びた。
最後までオレを見下ろしていた塔矢が、近くにいれば絶対抜かしてたのに、と
口惜しく思って、思った後また塔矢の事考えてた自分に腹を立てて。
じゃなくて。


もっと。

もっと。

話したいことがあるおまえには。



『・・・え?』



どうしておまえはそんなに奇麗なの。
いつの間にそんなに奇麗になったの。

どうしてそんなに優しい顔をしているの。
オレを、日本を捨てたくせに、どうしてそんなに穏やかな。


どうして。

どうしてそんなに髪を伸ばしたの。



「髪・・・伸びたな。」

『ああ・・・うん。変?』


緩く後ろで束ねて垂らした髪。
男の長髪って不潔な雰囲気になりやすいけど、塔矢は全然だった。
相変わらず携帯を耳に当てたまま、反対側の手で顔に掛かった横髪を払う。
生まれつきか手入れがいいのか、シャンプーの宣伝みたいに爽やかだ。


「いや・・・すっげー似合ってる。男にしては異様なぐらい。」

『褒められてるのか貶されるのか分からないな。』

「何でそんなに伸ばしたの?」

『願掛け・・・かな。』


答えが返ってくるとは思わなかったんで、ちょっと驚いた。
髪伸ばして願掛けって。いつの時代の女子よ。


「そう。何を?」

『日本に戻れますように。』


勝手な言い草だ。
自分で出て行ったくせに。その気になりゃいつでも戻ってこれるじゃん。

と思いながらもオレは相変わらず塔矢に見とれていた。
日本に戻ってきても、髪を切らなければいいのにと思った。


「今回は?どのくらい居られるの?」

『さぁ・・・キミ次第だよ。』

「は?」

『10年前、ボクがどうして日本を離れたか、分かった?』

「・・・・・・。」


もう当たり障りのない会話のまま終わると思っていたのに、
突然オレ達のわだかまりの核心を突いた質問をされて言葉に詰まった。


『キミと離れたかったからだよ。』

「・・・・・・。」


・・・そしてやっぱり答えられないような事を言う。
いじわるなヤツ。


『あ、誤解するなよ。そんなのじゃない。』

「・・・どんなんだよ。」

『キミはボクの生涯のライバルだから。』

「?」



『キミと馴れ合わない為に。そして潰しあわない為に。』

「・・・・・・。」

『キミからタイトルを奪うために、ボクは海外で修行を積んだ。』



・・・・・・・・・・。



ぽかーん、と。
開いた口が塞がらないというのはこういう状態だろうか。

いや、ちょっと待て。
塔矢ってやけに格好いい事言ってね?
でもそれって論理的におかしいよな?絶対。
あれ、でも、何がおかしいのか良く分からない。


「・・・・・・え・・ええっと。」

『うん?』

「それって、オレがタイトル何個か獲るまで海外で待ってたって事?」

『まあそうだ。』

「10年も?」

『ああ10年もだ。待たせてくれたな。』

「っていや、誰も待てって言ってねーし、大体オレが獲れなかったらどうすんだよ!」

『キミはボクのライバルだろう?獲るさ。
 まあもし獲れなければ韓国に永住するだけの話だけど。』


声がでかくなって、もう携帯の意味ないから
オレはがちゃ、と乱暴に蓋を閉じた。


「こっのやろう!」


最後の距離を一気に詰めて飛びかかる。


「あっ、」


頭突きをされてバランスを崩した塔矢が尻餅をつく。


「っ痛!」


高そうなスーツが土まみれになったって知るもんか。

夜の公園でいい年をした男二人が取っ組み合い。
誰か通ったら通報されるぞこりゃ。

押さえつけて、じっくりと顔を見る。

長い真っ直ぐな髪に縁取られた端正な面は、
やはり驚くほどあいつに似ていた。



「・・・つかまえたぜ、やっと・・・。」

「大げさだな。何を泣いているんだ?」






−了−







※デスノート5巻に出てきた「奈南川」って人がちょっと佐為ちゃんみたいで・・・。
  スーツ+長髪萌え。
  塔矢が育った時こんな男前になってくれたら嬉しいと思いました。






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