084:鼻緒 こんな夢を見た。 いつの頃であろうか、自分は大昔の時代の笛吹きであった。 実際はそうではない、と思っているのだが、夢だという自覚があるわけではない。 本物の奏者の振りをしなければならないのに実際は全く吹けないので困り果てていたのだ。 「案ぜられるな、苦しうなりにければ枕に顔を押し当てなされ。 それで呻いておればそれなりによい音色がしているやうに思はれます。」 妙につるりとした顔の親方に言われて、曖昧に微笑む。 気が楽になったのか重くなったのか自分でも分からない。 「・・・様が貴方の笛に満足なされば、・・・る殿は返して頂けます。」 そう言われて、そうか、自分は誰かの為にこの大芝居を打つ事になったのか、と知った。 それでは失態を犯す訳には行くまい。 正座をして広間に一人で待っていると、几帳の陰から白い衣を翻して美しい男が現れた。 鬼のようでなかったのでほっと息を吐いたが、それでも、どこかで見たことがあるような感覚が 別の恐怖をももたらす。 ・・・かる殿は無事かどうか。 聞きたいのを喉元で耐えて、無理に狎れた笑顔を浮かべた。 男は小さく口元だけで微笑んだ。 仕方なくこちらも無言で笛を取り出して、口に当てる。 ところが鳴らない。 当たり前だ、これまで笛など吹いたことはない。 それでもやめる訳には行かない。 額に汗をかきながら、形だけは自然に構える。 やはり、ひぃ、と小さく息が通る音がするだけ。 男が不興げに眉を曇らせた。 必死で唾で湿らせて息を吹き込もうとするが、笛は鳴らない。 男は疑っている。 私にその技術がない事を。 それでも色々と舌を動かしていると、少し音が鳴った。 しかし音楽らしい音色ではない。 このままでは友が殺される。 恐ろしくなって布団に身を伏せた所で親方の言葉を思い出し、枕に顔を押し当てた。 後ろから男が覆い被さってくる。 殺される、と思ったら喉笛から高い悲鳴が漏れた。 上手く笛の音色に聞こえたであろうか。 男が満足したのかどうかは結局分からなかった。 廊下を前に立って歩いていく男の後ろから着いていく。 初めてであろうなどとは詰らなかったが、素人である事は悟られたかも知れない。 だとすれば、・・・る殿は助からない。 自分に出来る精一杯の心は尽くしたつもりだが、自分のしくじりのせいで、 友が命を落とすのだと思うとやり切れなかった。 だが、もしかしたら全く気付かなかったかも知れない。 親方も大丈夫だと言っていた。 自分の拙い笛に満足してくれたのかも知れない。 ・・・かるを返してくれるかも知れない。 一縷の望みに縋る思いで男の肩の辺りを凝つと見つめるが、 やはり恐ろしくて声が掛けられなかった。 やがて玄関に到着して、男を見送るべく黒塗りの下駄を履いた。 庭に出ると真っ白で踏みしめる度にサクサクと鳴ったが、冷たくなかった。 塩でも敷き詰めてあるのかと思うと、訳もなく恐ろしい。 男が飛び石を進む。 もう、聞かなければならない。 結句、どうであったのか。 先程の奏に満足してくれたのかどうか。 ・・・るを返してくれるのかどうか。 「あの、」 その時。 ぶつ、と音がして、前にのめりそうになった。 ・・・白い、自分の鼻緒が切れていた。 目の前が真っ暗になった。 ・・・友は、戻ってこない。 自分はしくじった。 男は笛に触れた事もない者をあてがわれた事を知り、怒っている。 だって鼻緒が切れてしまった。 何でもない日ならともかく、こんな時に切れた緒が、悪い兆しでない筈がない。 多少なりとも見えていた光明が消える。 立っている事すらもう難しくなっている。 ・・・・か・・・る・・・。 だが絶望に呆然としている自分の手を、男は取って肩に置かせ、 しゃがみこんで下駄を脱がせた。 そして、裸足になった方の足を自分の膝に乗せさせる。 これまでの恐ろしさからすれば信じられない優しさに何も言えず 思わずそのまま縋ってしまった。 「・・・緒を、すげてくれるのですか。」 「ああ。」 「どうしてですか。」 あんな拙い笛で良かったのか、それとも笛の振りをした声に騙されたのか。 だが、それは笛の返礼ではなかったらしい。 「自分は、紡ぐ者なれば。」 途切れそうになった運命を紡ぎ、人と人との関係を紡ぐ。 ただそのような役割りの者であるから。 ・・・何故友を殺すなどと、思っていたのか。 もう恐ろしくない、 この男をどこで見たのか思い出した気がした。 −了− ※緒方を組み替えれば「紡ぐ者」になるってなネタが使いたかった。ちょっと失敗。 最初は普通に男娼でしたがアキラさんがそんな夢を見る筈もないので笛の奏者にしました。フロイト。 オガアキですが佐為アキもいいなぁと思います。 |
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