076:影法師 あれは暑い夏の日だったと思う。 塔矢と、週刊碁か何かの写真撮影にかり出されて 準備の時間待ちに外のベンチで座っていた時だ。 あち・・・。 冷房に慣れた体には、この夏の日中の屋外はキツすぎた。 隣で塔矢が何か言ってるな〜とは思ったけど、よく聞きもしないで 渡されたプリントでバタバタと扇いでいた。 オレの足元でオレの影法師も音も立てずに扇いでいたのをやけにくっきり覚えている。 「・・・でシノいで・・・おい、聞いているのか」 「うっせーよ。あちーっての」 マジ聞いてなかった上に、いい加減に返事をしたのがまた気に触ったらしい。 塔矢は「しんとうめっきゃくすれば火もまた涼し」とか何とかまた説教垂れだして そう言うだけの事はあって、自分はきっちりと背筋を伸ばして座っているのに 確かにその顔には汗一つかいてなくて。 口惜しい。 何だよテメエは何があってもいつ何時もそんな涼しい顔でいられるっての? Q1.塔矢アキラを動揺させてみたいですか? A1.YES. 大体キミには平常心がとか、プロ棋士ならそれぐらい当たり前とか、 おまえ、そんなにオレをムカつかせたいか。 Q2.塔矢アキラに、突然「殴っていいか」あるいは「キスして」と言ったら、 どうすると思いますか? 1・「ふざけるな!」と言って立ち上がる。 2・気味悪そうな顔をして固まる。 3・真っ赤になってあたふたする。 1が一番ありそう。 けど3の塔矢は是非見てみたいな。 なんてぼんやり考えながら、塔矢のくどくどした演説を聞き流していると、突然 「聞いているのか?!」 耳を引っ張られた。 何だってんだよ!テメエはよ! 「塔矢」 「何だ」 「ちゅーして」 オレは、ちょっとびっくりした塔矢を、「平常心」とやらを失った塔矢を 見てみたかっただけなんだ。 いくら塔矢でもびっくり目ぐらいはすると思った。 別にひかれたっていいもん。塔矢ごときに。 けど、驚いた事にアイツは全く!いつも通りの冷たい目で、 「口にか」 「え・・・あ、うん」 迷いのない動きでオレの隣に尻を寄せ、すぅっと顔を近づけてきた。 目を開けたままだったか閉じていたかは覚えてない。 ただ、「意外と上手いじゃん」とか「唇ひんやりしてるって事は体温低いのかも」とか 現実を受け止めてるのか逃げてんのか分からないような事をぼんやり思った。 それから塔矢は近づいて来た時と同じようななめらかさで顔を離して、 尻をずらして元通りの距離を取り、 「で」 「え?」 「だから二次予選の話をしているんだろう?聞いてるのか、と訊いてるんだ」 あまりにも普通に元通りの話をされて、ホントにコイツ「平常心」なんだって感心して その感心させられた事に自分で腹が立って。 塔矢だって動揺を見せずに反撃出来た事に内心得意になってるに違いない。 なんか。 なんかすげー口惜しい。 それから、一週間ぐらい経った時だったかな〜。 棋院の廊下を歩いてると、向かいから塔矢も一人で歩いてきた。 ・・・カツ、カツ、カツ、カツ・・・ 辺りには誰もいない。 いつもなら、「よっ」「ああ」でそのまますれ違うか、どちらかが碁会所に誘うか、 そんなシチュエーションだ。 なんだけど。 今日はすれ違いざまに、塔矢のほっぺにちゅって口を押しつけた。 オレはそのまま何食わぬ顔をして真っ直ぐ歩いたけど、 リノリウムを踏んでいた塔矢の革靴の音は止まった。 振り向かなくても頬に手を当てた塔矢が、びっくりして、びっくりさせられた事に 悔しがっている表情を浮かべているのが見えるようだった。 口笛を吹きそうになった。 その更に二、三日後だったか。 塔矢と一緒に塔矢先生の碁会所に行って、エレベーターに乗って。 その時も何か碁の手の話をしていたと思う。 チン・・・ ボタンを押した階に着いて、扉が開く直前。 今度は塔矢が不意打ちでオレのほっぺにちゅーしてきた。 で、何もなかったような顔と足取りでエレベーターを降りてその前のガラス扉を開けて。 オレの方は全然予想外だったんで思わず固まってしまって、 そのままエレベーター閉じられる所だった。 「あらぁ、アキラくん、いらっしゃい!あらら、進藤くんどうしたの?」 閉まりそうになったドアに顔を挟まれたなんて格好悪くて言えなくて、 オレは何でもない、って言いながら掌で耳を擦った。 先に奥の席に座った塔矢が下を向いたまま、堪えきれないように唇の端で笑った。 ムッカツク・・・! それからは人に見られそうな危ないシチュエーションで、しかも不意打ちで 相手に嫌がらせをして動揺を誘うのは、オレ達の密かなゲームになった。 居酒屋で飲み会した時、向かいの人と話をしながら机の下で、隣に座った塔矢の 膝の間に手を入れると、塔矢も話に混ざってきながら平然とオレのパンツの前を触った。 「コイツ何しやがんだ!」「・・・っつかどこまでやる気だ?」なんて多分お互いに思いながら にこにこ、にこにこ。 後で思うと向かいに座ってた人、気持ち悪かったんじゃないかな。 自分で言うのも何だけど、どっちも意地っ張りでしかも気が強いから どちらも逃げない。引かない。 行為はどんどん危うくエスカレートしていく、チキンレースのようだ。 かと言って、オレ達が言葉でその事について話した事はなかった。 元々ほとんど碁の話しかしないんだけどそれは変わらず、 何食わぬ顔をしてただただ手や口で嫌がらせをする。 塔矢は、オレがした事をほぼ正確になぞって報復してきた。 ケツを撫でたら撫で返して来るし。 オレが舌を入れた次の日は、舌を入れてきて。 まるで影法師。 でも・・・どこまで着いて来られるかな?この影は。 いつまでそのポーカーフェイスが続けられるかな? ・・・ってさ。 塔矢の狼狽える顔が見たいって理由だけで、ここまで来ちゃうオレもオレだけど。 やっぱ負けず嫌いなんだねぇ。二人とも。 今日は、地方の仕事で塔矢と同宿だ。 つか同室で。 このまま行ったらいつかこういう日が来ちゃうんじゃないかって恐れてはいたけど そんな、心の準備が。 いや、心の準備が出来てしまってからじゃ意味ねえんだよな。 「だから、オレはあの守りはどうかと思うわけ」 「いや、あそこで守って置かなければ、絶対崩れるから」 いつもみたいな言い争いをしながらさりげなく、実は十分にタイミングを推し量って 布団に横たわった塔矢に覆い被さる。 「絶対って何だよ。軽々しく言うなよ、んなの分かんねぇだろ?」 「分かるさ!誰だって見え見えの展開だ」 「だから気付くか気付かないかじゃなくて、受けるかどうかの確率の問題じゃんよ、塔矢」 「何だ」 「ヤルぜ」 女にするみたいに、塔矢の浴衣の襟に手を掛けて。 そう、オレ達の間でこのゲームについて何某かの言及をしたのはこれが初めてだ。 キスとかと違って大ごとだから一言言わなきゃってのと、あとやっぱりどこかで ゲームを終わりにして欲しい嫌がって欲しい、負けを認めて止めて欲しい、って思いが あったんだと思う。 でも塔矢は何も言わず、ふん、と鼻を鳴らしただけだった。 何ダ、キミハソレ位デおたおたシテルノカ? ナラ、ヤハリ精神力ハぼくノ方ガ上ダナ。 ぼくハソノ程度デ動揺シタリシナイヨ。 とか言いたげな顔をしやがんだ!コノヤロウは! そんな塔矢に、今更オレも引ける訳ない。 ニッ、と出来るだけ余裕たっぷりに見える笑顔を浮かべて、浴衣を脱ぎ捨てた。 どこまで行くのか、この影法師のような真似っこゲーム。 わざとピンク映画みたいに、べちゃべちゃ音をさせてキスをして。 人知れず、崖っぷちに向かって走り続けるチキンレース。 いい加減音を上げないと、本気で最後までイくぞコルァ! とにかく、最初に止まるのは、折れるのは、ぜってーオレじゃねえからな! −了− ※どこまでも行って下さいな。 |
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||