055:砂礫王国(新)








それはそれは見事な像でした。

代々我が藤原家に伝わるとは言うものの、その由来をはっきりと
知る者はありません。

唐から渡ってきた、天人を模したものだという話もあります。
何代か前、恋した男を失った姫がその男の姿を彫らせたという
言い伝えもあります。

とにかくそれは精妙で細やかな、木彫りの像であったのでした。
仏のように切れ長の目で衆生を見下ろしているのではない。
どちらかというと円く愛嬌のある目。
綻びかけ、今にも歯を見せて呵々と笑い出しそうな口元。

往時としてはやや風変わりな面立ちをしたその像が、他のどのような像よりも
親しみやすく感じたのは、私が幼き頃から見慣れていたせいであったのか。
けれど、その中に何とも言えない特有の「美」を感じたのは、やはり
その像自体の魅力だったのだと思います。


初めてその像を見たのがいつであったかは心覚えがありません。
でも物心ついた頃には既に目の前にあり、その美しさに惹かれ、
このような兄者があれば嬉しく思うたであろうな、と思っていました。

しかし少しづつ長じて像の年頃に近づき、追いつき、追い越すにつれ
当然その思いにも少しづつ変化が生じます。

このような友がいれば。
このような弟がいれば。
そして、このような恋人があれば・・・。

そう。私はいつしかその像に恋をしていたのでしょう。
お笑いになりますか?
温かくも柔らかくもない、木に恋をしてしまうだなんて。

勿論私とて木偶に命が宿るはずなどないと思ってはいます。
けれど、少なくとも私の中では生きていた。
魂を得て動き出すのではないかと、私を抱きしめてくれるのではないかと
幾度も夢想し、彼と遊んだものです。

遊ぶと申しても像と本当に遊べはしません。
その頃から碁が好きでしたから、彼の前に碁盤を据え、対面を彼に見立てて
よく一人で打っていたという程のものです。

それでも楽しかった。
言葉を持たぬ彼と、どれ程盤上で語り合った事か。


やがて私も元服の儀を終え、殿上人となりました。
数年を過ごす内、ふとした僥倖から主上の御目に留まり、畏れ多くも
囲碁指南役を賜ります。

忙しい日々が始まり、件の像と向き合う時も殆どなくなりました。


・・・そして。
無念の。




都から出る少し前、私は屋敷に戻って久しぶりにゆっくりその像と対峙しました。
私が運命に弄ばれている間も、何も変わらず微笑み続けていた彼。


「・・・そなた」

「・・・・・・」

「そなたは、変わりませんね」

「・・・・・・」

「どうです。碁の腕は上達しましたか?」

「・・・・・・」

「この屋敷には私以外そなたと打つ者はおりませんから無理でしょうか」

「・・・・・・」

「・・・私は、もうすぐ参ります」

「・・・・・・」

「だから最後に・・・思いを遂げさせてくれませんか」

「・・・・・・」

「その姿を人と化して、その肌で私を温めてくれませんか?」

「・・・・・・」

「・・・ではせめて、何か一声、給われないでしょうか」

「・・・・・・」

「つれないですね」

「・・・・・・」

「私は、本当にそなたを好いていたのに」

「・・・・・・」

「本当に、そなたを愛しく思うていたのに」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」


私がこの世で最も愛した木偶は、やはり最後まで木偶でした。
それでも恨めしく思う気持ちなど全くありませんでした。


最期の時。
あの像に、また会いたいものよと思いました・・・・・・。



・・・・・・・・・・・・



佐為は、語り終わった。
そして微笑みながら懐かしげに月を見上げるが、その後ろに影はない。

虎次郎もその口元を微かに綻ばせながら無言で碁石を片付ける。

佐為が昔語りをするのは珍しい。
いつも碁の事ばかりだから。

ただこうして月明かりの下で過ごす時間はとても柔らかく優しかった。


それから数年が過ぎ、虎次郎の命が尽きる。
若かった。
佐為は嘆きながら、けれど数日この世に留まった。

そして初七日の晩。
虎次郎・・・秀策の遺品を整理していた弟子達が文机の中から
古い綴じ本を見つけたのだ。


「なんじゃろう。由ありげに栞がはさんでござるが」

「何々。『・・・縁寺・・・由来』・・・虫が喰うておって読めんな」

「エエト。『・・・の像は仏に非ず。伝・・・藤原・・・家』、か?」

「『・・・慶長元・・・の大火事・・・』なんじゃ、どこぞの寺の燃えてしもうた
 宝の目録じゃな、これは」


佐為がそれを耳にした時、ぐらりと眩暈がした。
どういう訳か、間違いなくあの像の事だと分かった。


  虎次郎はあの話を覚えていて・・・秘かに像の行方を調べてくれていたのだ。
  けれど、火事で既に失われている事が分かって私に言えなかった。

  最期まで。


それを悟った時、自分の意識が、姿が、砂のようにさらさらと
時に崩れ去るのを佐為は感じた。




・・・・・・・・・・・・




それから更に百五十年。
佐為は再びこの世に甦った。

碁に対する尽きせぬ執念。
そして遂に思いを遂げ得なかった件の像に対する若干の未練を持って。


    私はもうじき消えてしまうんです!

「最近のおまえってなんかワガママ度たけーぜ」


最初は気付かなかった。
やがて成長した少年に見た、件の像の面影。


    そうだったのか・・・ヒカルは・・・


しかしその時には、もう彼の魂は尽きかけていた。


    そなた、ひかるという名であったのか・・・


自らが肉体を備えていた頃にはそれは冷たい木彫りの像で。
それが血肉を得た時には自らが何物にも触れることの出来ぬ虚の身。


 佐為!おーーい佐為ーーーっ!

 佐為のバカヤロー!早く出て来い!


千年の時を越えて尚めぐり会う程の深い縁を持ちながら、
結句同じ世に生身の体を持って生まれる事はなかった二人の運命を
それでも佐為は恨まない。

ただ、件の像の魂に、再び出会えた事に感謝をした。



 神様お願いだ!はじめにもどして!

 アイツと会った一番はじめに、時間をもどして!!



そして去りゆく自分が少年を抱く温かい腕を持たぬ事をのみ惜しみ
あの像もあの時、同じ思いであった事を悟り。


また、意識や姿がさらさらと崩れていくのを感じたが
今度は光に融け、天に昇っていくのがありありと分かった。


空から見下ろしたこの世は砂礫の如く儚く、けれどきらきらと光る王国のようだった。







−了−






※佐為ヒカ・・・時代を超えてもプラトニック。どうしてもプラトニック。






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