033:白鷺(後編) 数週間後、12/14。 奇しくも塔矢の17回目の誕生日の日に、オレはシンガポールのホテルに連れてこられた。 ボディガードに付き添われ、白い布を翻してロビーを通ったオレ達は 異様な集団だろうと思う。 会う人会う人、みんな顔が薄くて驚いた。 アラブ顔に馴染んじゃってたからな。東洋人がのっぺらぼうに見えるよ。 客室で少し休んでから大広間に通されると色んな人種の人が沢山いて 部屋の真ん中の無人の碁盤の上にはカメラが吊されている。 壁に吊されたスクリーンには、既に石のない碁盤が映し出されていて テレビ中継、ではないけれど、何か碁のイベントみたいだ。 なるほど、そういうのに駆り出されたわけね。 まあ関係ないや、と真っ直ぐに椅子に向かって歩いている時、ふと顔を上げると 客の中に塔矢先生がいてびっくりした。 目が合った時、向こうも少し驚いた顔をしていたような気がする。 そりゃ驚くよな、この格好だし。 さっき髭剃った時、鏡見たら結構日に焼けてたし。 でもそうか、客は世界中の囲碁関係者か、「組織」の好事家なんだ。 つまりオレは見せ物。 ・・・とそこまで考えた時、急に胸が苦しくなった。 どっくん、どっくん、怖いくらいに早く脈が打ち、 こめかみが膨らんで熱を持ったように思う。 どうした、緊張しているのか? いやそんなことないな。 負けたって死ぬだけだしもう命なんて惜しくないもん。 じゃあ、何だ、この動悸は。 やっぱり緊張してるのか、 どうして、何故、 答えが見つかりそうで、見つけるのが怖くて、 考えたくないのに、考えてしまいそうで。 頭が爆発しそうになった時、背後で扉が開く気配がして、部屋が少しざわめいた。 コツ、コツ、コツ、コツ・・・ 毛足の短い絨毯の上を、柔らかいやわらかい靴音が近づいてくる。 対戦相手が来たというのに、オレは振り向くことが出来なかった。 やがて、音はオレの背中を通り越して碁盤の乗った机の横を通り 向かいの椅子を引いた。 最初に目に入ったのは、黒に銀の細い細い縞が入ったネクタイだった。 スーツもチャコールグレイっていうのか、かなり黒っぽい。 何となくヤクザ風だけど、ワイシャツは真っ白ってとこがちょっと葬式っぽくて笑えた。 何となく、ゆったりした中国服でも着てると思ってた。 猫みたいにソファで寝そべって、堕落を絵に描いたような暮らししてんじゃないかって。 「・・・塔矢。」 一年で、精悍になったような気がする。 自分は商品だ奴隷だと、言って儚げに笑った頃とは明らかに変わっている。 でも、相変わらず作り物みたいにキレイで。 泣きたくなるほど懐かしい、オレの恋人。 そうか。 「組織」が噛んでるイベントなら、塔矢が出てくる、よな。 碁が打てる商品同士を戦わせて、これもギャンブルか何かになってんの? とにかくオレは、塔矢に会えたから何も言う事はないけど。 胸が詰まって何も言えないオレとは逆に、塔矢はほとんど無表情で 石をニギりながら、オレを見ていた。 「キミ、その服。」 「・・・あ?ああ、」 「アラビアから来たのか?」 「うん。おまえは?」 「今日はロスからだよ。」 「今日は」? ああそう言えば、主人に連れ回されてるって言ってたな。 まるで昨日会ったかのような、会話が塔矢らしいと言えば塔矢らしい。 でも一年前なら、絶対なかった内容だ。 「そう。あっちは寒い?」 「寒いね。」 そこで開始の合図が告げられて、オレ達は反射的に礼をした。 ・・・けれど。 あまりにも普通すぎないか。 あまりにも、そっけなくないか。 だって一年ぶりだぜ? しかも、もう二度と会う事はないかも知れないと思って別れたのに。 ぱち。 先番の塔矢が、石を置く。 その白く光る指の滑らかな動きに、心が震える。 ぱち。 日本では毎日何局も打ってたのに、 ぱち。 実際、人相手に対局するのは随分久しぶりで、ただそれだけで心が騒ぐのに その相手がおまえだなんて。 ・・・ぱち。 ちらりと横を見ると、最前列で腕組みをしている主人と目が合った。 その反対側にいる、中国服の老人がまず間違いなく塔矢の主人なんだろう。 ぱち。 仙人みたいな杖を持っているのに、似合わないサングラスをしているのは もしかしたら目が弱いのか。 あの男が、塔矢の服を脱がせて指でその輪郭を辿って・・・ だめだ。対局中に何考えてんだ。 集中しなきゃ。 それにしても、塔矢は容赦がない。 まったく気を抜かない厳しい手を打ってくる。 そりゃ、碁の対局で真剣に勝負するのは棋士として当たり前かも知れないけど。 この対局が、どういう意味を持ってんのか知らないのか? オレが勝てば、オレ達ずっと一緒にいられるんだぜ? おまえが勝てば・・・オレ、死ぬんだぜ? だからって塔矢があからさまに手を抜くとは思わなかったけれど。 どこかで、勝たせてくれるんじゃないかなんて。 ・・・ぱち。 甘かったかな・・・。 つか本当に知らないんだろうか塔矢は。この対局の結果が招く運命を。 さっきの、オレを見た無感動な目や、そっけない会話が何度も頭の中を行き来する。 ダメだよ、もっと集中しなきゃ。 今はそんな事より、対局だ。 他のこと考えながら勝てる訳なんてない。 塔矢がもし、オレと一緒にいたいと思ってないんだとしても。 もう、オレの事なんてどうでもいいんだとしても。 自分の命の為に、オレ、勝たなきゃ。 「・・・負けました。」 「ありがとうございました。」 「ありがとうございました。」 ざらざらと。 指の間からこぼれ落ちて行くのはオレの命。 結局。 塔矢の心がオレになければ、オレの命に価値なんてないわけで。 中盤以降、結構盛り返したつもりだったけど、やっぱりどこか気合が足りなかったと思う。 生きたいと、思えないんだ。 目の前に愛しい人がいるのに、ものすごく苦しいんだ。 「やっぱり塔矢は、強いな・・・。」 「キミも久しぶりにしては粘ったじゃないか。」 オレに勝った後、ちょっと得意げに微笑む顔が昔とあんまり同じで。 「序盤はキミにしては・・・・・・どうしたんだ?」 俯くオレを心配そうに覗き込む気配がする。 ははは。そっか、やっぱり知らなかったか。 おまえが勝てばオレが死ぬって事。 でも、いいよ。 この一年おまえを追いかけて、追いかけて、 最後に一局打てたんだもんな。 もう会えないと思ってたし。 オレ、かなり幸せだよ。 「塔矢・・・好きだよ。」 人前で何だ、というような困った笑顔。 大丈夫だよ、みんなもう席立ってざわざわしてるし。 それ以前に日本語分かる人ほとんどいないし。 「本当だよ。誰よりも、誰よりも、」 ・・・好きだった。 けど。 ばいばい。 碁盤に背を向けたオレを、塔矢の声が追う。 「進藤?」 オレは振り向かずに、まっすぐ主人の元に向かう。 向き合ってありったけの力を振り絞って微笑むと、 主人はオレを睨み付けて、思いきり張り倒した。 ピシッ! 高い音に、出口に向かっていた何人かが振り向いたが、すぐに何事もなかったように 去っていく。 思わず片膝をついてしまったオレに向かって、主人が吐き捨てるように何か言った。 「『アッラーへの礼拝をサボっただろう』、言っています。」 「?」 笑顔で言う通訳に、訳が分からず首を傾げる。 「×××、×××××」 また何か言って、今度は訳すのを待たずにずんずん出口に向かった主人と 慌ててその背中とオレの顔を交代ごうたいに見た通訳は、一瞬何も言わずに 行きかけたがやっぱり振り向いて早口で告げた。 「『あなたの上に平安あれ』。ご主人様、言ってました。・・・お元気で。」 そして今度は振り返らずに小走りで去っていった。 そうしてオレのアラビアでの生活は、あっさりと終わりを告げた。 世話になった使用人たちに挨拶をする暇もない。 あまりに急すぎて、あの砂漠に咲いた花は、鍵のない鳥籠は、 夢の中の場所だったような気さえする。 つまりは。 オレと塔矢の対局は、オレが聞いていたようなもんじゃなかったって訳だ。 二人が一緒に暮らせるか、オレが死ぬかが賭かっていた訳ではなく 塔矢の主人にオレが譲られるか、オレの主人に塔矢が譲られるか、の違いだったんだ。 だからどっちが勝ったって、オレ達が同じ主人の元に行くのに変わりはない。 「え、おまえ知ってたの?」 「勿論。でもキミは僕を見て驚いてたから知らなかったんだろうなと思って。」 だから緊張しないように、普段通りみたいなそっけない会話にしたんだって。 お陰でこっちは滅茶苦茶ビビったっつーの! 「でも、きっとあの人も本気でキミに勝たせたかった訳じゃないよ。」 「どうして?」 「それなら予め相手が僕だと言って、動揺しないようにするだろう? きっとそれよりも、不意打ちで僕に会わせて、喜ぶキミの顔が見たかったんだよ。」 そーかなー。そんなイイ奴かなぁ。 「あの人とウォン大人の仲が本当に悪いわけでもないし。」 「え。そうなの?」 「それならこんな取引ないだろう?ウォン大人にとってもあの人は 息子みたいなものだって言ってたよ。」 オレ、変な表情しちゃったんだろうか。 塔矢が慰めるように肩に手を置いた。 「だからきっとまた、会えるよ・・・。」 「んなんじゃねえって!」 もう、んなことより、塔矢が目の前にいる事の方が、オレにとってはずっと大事で。 思いっきり抱きしめたかったけれど、人前では塔矢は嫌がるだろうなと思って 我慢した。 「なぁ・・・オレ達これから、その、二人っきりで会ったり出来るかな?」 「う〜ん・・・どうだろう。僕達は両方買われた身だからね。」 「頼むよ。せめて夜寝る部屋は一緒とか・・・。」 「進藤!」 真っ赤になって怒鳴った塔矢の後ろ、中国服の老人の側に立っていた男が 不意に話し始めた。 「あー、オレ、日本語分かるんで。」 「え!」 「それから大人の前であまりいちゃいちゃしない方がいいと思うよ。 こう見えて、この人は結構意地が悪いから。」 老人の、サングラスの向こう側の表情は見えない。 それでもその日オレ達は、トイレに行く振りをして初めてのキスをした。 「あ!」 「うん?」 「ハッピーバースディ塔矢!」 塔矢は、もう一度肩口に顔を埋めて、オレをぎゅっと抱きしめた。 「ああ・・・最高の誕生日プレゼントだ。」 そうだな。 オレにとっても、人生最高の日かも。 また生きておまえに会えるだなんて。 たとえオレ達が気軽に取引されるモノに過ぎなくても。 これから、あの男の下でどんな生活が待っていようとも。 塔矢といられるのなら、きっと。 −了− ※パラレルじゃないと言い張りながらパラレル風味満載でした。 ヒカルの主人に、モデルなどおらぬ! |
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