013:深夜番組








免許を取った途端に自動車を買う若者は少なくないが、あれは本当にいいのだろうか。
進藤が仕事帰りにドライブしようというので着いてきたが
乗ってみるとまだ全然ぎこちなくて、これは事故を起こしても仕方ないな、と思った。


それでも都心を離れると、道のせいかそれとも慣れてきたのか、ハンドル捌きも
様になって来る。
少し話も出来るようになって来て、(今までは下手に話しかけられない集中の仕方だった)
聞いたらどうも他人を乗せたのは初めてらしい。


「では僕は実験台か。」


内心嬉しいのにそう言ってしまって、気を悪くしなかったかとこっそり横顔を見たが
特に不機嫌そうでもなかった。
進藤にとっては大した意味のない事なのかも知れない。
それでも僕にとっては、初めて乗せてくれたなんて、凄く特別のような気がして。




どこに向かっているかと言うとどうも横浜方面のようだが、聞きはしなかった。
どこでも良かった。
会話がないのは気詰まりだろうかと考え始めた時に、進藤がふと、という感じで口を切る。


「そだ、オマエも免許取れよ。」

「どうして。」

「オレが疲れたら交代して貰えるじゃん。」


交代して・・・欲しいのだろうか。
これから何度も、僕を長距離ドライブに誘ってくれるのだろうか。
嬉しいと、素直に伝えてもいいだろうか。

ああでも、僕が誘った訳でもないのに交代するのが当然、という言い草は少し図々しいかも知れない。
ワザとか、ワザとなら、少しだけ怒ったフリでもした方がいいのだろうか。


「・・・勝手に乗せておいて。」


案の定彼はふふっ、と低く笑った。
良かった、変な反応はせずに済んだらしい。

そんな何気ないけれど微妙に親しげな会話は、とても楽しいけれどとても緊張する。

バカな事を言わないように。
ズレた事を言わないように。

碁の話ならまともに出来る自信はある。
誰よりも、鋭い意見が言えると思う。
でも、それ以外の一般的な会話となると・・・僕はからっきしだから。






それからまた会話が途切れて、僕はただ黙ってエンジン音を聞いているのも心地よかったが
進藤につまらない奴だと、一人でドライブした方がマシだったと思われるのが恐くなった。

こういうのを「間が持たない」と言うんじゃないだろうか。
良くない状態なのではないだろうか、と思うと、何か変化をつけなければいけない気がしてきた。

ラジオを点けていいか、と聞いてからスイッチを押す。
流れてきた深夜番組のパーソナリティはけたたましくて、慌ててダイヤルを変えて
静かな話し声の所にする。

低い声でゆっくりと話すその声は、内容のなさではさっきのうるさい人と
変わらないが、耳障りが良いだけマシというものだ。


・・・れでは次の曲・・・


やがて、ぶつぶつという前世紀半ばの音源特有の雑音の後流れ出す、
クラシカルなホーンとウッドベース。

決して鮮明ではないが、優しく柔らかく、良い音だと思った。

そして、滑らかさと抵抗感のある手触りがないまぜになった古いベルベットのように、
少しハスキーで甘い甘い女性の歌声。


暗い車内、暗い道。


景色までがモノトーンで、まるで自分たちが60年代のハリウッド映画の世界に
入り込んでしまったようだ。

世界は穏やかで、車の周囲数メートルより先には何もないような気さえする。
電灯のような月、その光を無視するようにあちらこちらでライトアップし合っている
町並みさえアジャスターで作られた書き割りの背景のようで妙に非現実的だ。


「・・・この曲、なんて曲だって?」

「ごめん・・・聞き損ねた。聞いたことはあるけれど。」


とても頭が軽そうで、あまりにも恋の事しか考えていなくて、滑稽な。
僕でも聞き取れる簡単な英語で繰り返す。


キス・・・キス・ミー・・・ホール・・・ホーミー・・・・
キス・・・キス・ミー・・・ホーホールミークロース・・・


でもまるで、まるで。


「あの・・・。」

「ん?」


kiss me love, with heavenly affection・・・


「月。」


ああだめだ。言うに事欠いて単語一つ。
助詞が、副詞が、接続詞が。

話さなければおかしいと思われる。変な奴だと思われる。
焦れば焦るほど、頭の中では何故か流れてくる歌を機械的に和訳しつづける。

キスして・・・抱きしめて・・・
愛してよ・・・天国みたいな愛で・・・

バカみたいだ。
バカみたいな言葉が、口から滑り出しそうになるじゃないか。


「月?」

「・・・・・・。」

「ああ、きれいだな。」


・・・本当だ。
キミにそう言われて見れば、今まで何度も何気なく見上げたありふれた満月が
この世で一番大きな宝石に思えてくるよ。

その時、進藤が初めてハンドルから左手を離し、ふっと空中を指さす仕草を見せた。
何、だろう。何か個人的な事をしたのか、それとも僕に見せる為にした動作か。
放っておいた方がいいのか、それとも聞いてみた方がいいのか。


「あの・・・。」

「穴開けてみた。」

「え?」

「いやほら、障子に穴開けるみたいにさ、誰かが空を突き刺したみたいじゃん。」


・・・本当だ。
キミにそう言われて見れば、それは天空を傷つけた指の痕。
うん・・・、うん、そう思うよ。


「本当だな。」

「え?マジそう思った?塔矢って意外と『ろまんちすと』っての?へぇ〜。」


自分で言っておいて、少し小馬鹿にしたような物言いに、
思わず前方を睨み付けてしまった僕の頬は熱いが、暗いから見えてはいないだろう。


「何。怒った?」

「いや。」

「んな事でムッとすんなよ〜。」


ムッとしている訳ではなくて。
どうやら期待された反応が出来なかった事が恥ずかしいんだ。
他の友人といる時より格段に大人しい進藤が、疲れているんじゃないかとか。
そんな彼よりも更にずっと言葉数が少ない自分の不甲斐なさに失望してみたり。

けれど、これから僕が見上げる月は、天の宝石でそしてキミの指が開けた穴だ。


hold, hold me close to you・・・


ゆったりと、ゆったりとした甘い歌声が、頭脳を痺れさせる。
忘れない、夢のようなひととき。


「・・・オレのドライビングテクニックもなかなかのもんだろ?」

「うん。」

「とか言って右折車が来たらヤバかったりして。」

「うん・・・。」

「何だよ。」


チッ。
進藤の舌打ちに、心臓が止まりそうになるけれど、


then, kiss me once again・・・


まるでキスの音のようにも聞こえて、僕は大きく車内の息を吸い込む。
進藤の吐いた息が、僕の肺に入り込む。
これも、キスと言えるんじゃないだろうか・・・。


「あ。」

「何だよ。」

「この曲、思い出した。」

「へぇ。何。」


進藤はもう全く気がなさそうだったが、僕は思い出せたことに興奮した。
記憶の中を、絞め殺された金髪の女優が落下していく。


「『ナイアガラ』っていう映画の中で歌われていた曲だよ。」

「ふ〜ん。」

「昔の映画だけれど、深夜番組で見たことがある。」

「へぇ。」


進藤があからさまに興味がなさそうなので話すのをやめたが、何だか楽しい。
進藤はどんな想像をしているだろう。
この曲と題名からして、甘くて無意味なラブストーリーを思い浮かべているんじゃないかな。

this is the moment, oh thrill me・・・

  これぞスリルのひととき
  あなたの魔力でスリルを味わわせて
  あなたの腕で私をさらって

そう、それは不倫の恋が元になったスリリングなサスペンス映画。




横浜は過ぎたのか。
もう、房総半島?

いつのまにか、海の上を突っ切る有り得ない程真っ直ぐな道。
真正面に、トンネルの出口のように明るい月。

長い間無言の進藤の横顔にちらりと目をやったが、変に無表情だった。

そうか、ここは現実世界じゃないに違いない。
月の国。
あるいはモノクローム映画の中の世界。

走り去るオープンカーの後ろ姿に
「The end」の文字が重なる。
永遠に終わらない恋人達のドライブ。


エンドマークを遥か後方に置いてきても相変わらず辺りは妙に静かで、
エンジン音が心臓に心地よい。
妙に白い肌をした僕達だって二人して作り物のようだ。


このまま、どこまでも走り続けて欲しい。
どこにも辿り着いて欲しくない。


もっともっと、遠くへ。

もっともっと、アクセルを。

キミと一緒なら、怖くないよ。



二人きりでいつまでも走って行こう。

もっと、もっともっと早く。

もっと。


   前の車を飛び越してしまう位に。

ねえ、まだまだ遅いよ。

   金属のフェンスを突き破って、あの月まで走っていける程に。


飛べ。

今宵。

天まで。



甘いコーラスに陶酔しながら、僕は全身全霊で祈り続けた。







−了−








※微妙〜に狂ってゆくアキラさん。






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