008:パチンコ(新) 夜中に、温かい腕の中からするりと抜け出す。 「ん・・・、」 半開きの口から涎を垂れそうな進藤。 苦笑してその毛布を肩まで掛けた。 そうっと絨毯の上に降り立つ。 寝る前、彼が床に脱ぎっぱなしにしていたスーツが気になっていたのだ。 進藤は二着しかスーツを持っていない。 その内の一着が皺だらけになったら、困るだろうに。 まず上着を取り上げ、ハンガーに掛けようとしてその意外な軽さに驚く。 何気なく肩から袖を合わせてみると、やはり左右ぴたりと同じ長さだった。 ・・・緒方さんのスーツをハンガーに掛けるのも好きだった。 彼の上着は、必ず右袖が3o程長かった。 それに気付いた時言うと、 『ワイシャツでもスーツでも、きちんと仕立てたものは必ずと言っていい程左右の長さが違う。 それぞれの腕を採寸するし、腕の長さが全く同じ人間というのはなかなかいないものだ』 そう言っていた。 なるほど、と納得したし、後に自分でスーツを作った時も確かに右が少し長かった。 緒方さんと一緒であった事が少し嬉しかったが、棋士というのは職業柄 右手が長くなりやすいものなのだろうか。 こうして自分の上を通り過ぎた男を比較するのは我ながら悪趣味だと思うが 進藤のスーツは、きっとオーダーしたものではなく量産されたものだろう。 そう言えば、だんだんと形が崩れて体のラインに合わなくなってきている気がする。 新しい時は気付かなかったが。 スーツを手にしたまま、ボクの頭の中で悪い趣味は続く。 彼等はどちらもボクに新しい、「大人の場所」を教えてくれたのだった。 ・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・緒方さんは、まだ子どもであったボクをホテルの最上階に連れていってくれた。 今思えば周囲からは一体どんな風に見えていたのだろう。 夜景を引き立たせる薄暗い照明、背中の開いたドレスを着た女性がグランドピアノで 控えめに奏でる音楽。 棚できらきらと光る切り子のグラス。 切れそうに糊をきかせたシャツと、シックな蝶ネクタイのボーイ。 緒方さんが、明らかに未成年に見えるボクの為にカクテルをオーダーした時も、 眉一つ動かさなかった。 ・・・・・・進藤は、初めてパチンコ屋に連れていってくれた。 眩しすぎる照明、訳が分からないけれどやたらテンポの早い曲や夥しい電子音が 大音量で鳴っていて話も出来ない。 薄汚れた黒いズボンと赤い格子柄のベストを着た目つきの悪い店員が、 こちらをじろりと睨む。 年がバレたかとボクは居たたまれなかったが、進藤は気にした様子もなく、 ボクの手を引っ張って一台の前に座らせ、自分もその隣に席を占めた。 しかしその日、進藤は負けて、どういう訳か大勝ちしたのはボクだった。 彼はしばらくふてくされていたが、結局ボクが楽しかったのなら良かったと、にかっと笑った。 ・・・・・・そのホテルで、緒方さんの知り合いらしい人に出会ったのは 偶然だったのかどうか今となっては分からない。 ボクは初めてのお酒でもう結構酔っていたし。 きれいな子じゃないか 身なりのいい、髪をきちっと整えた紳士だったが、いきなりボクの顔に触れたのは不躾だと思う。 少し嫌だったが、緒方さんの知り合いだと思えば邪険にも出来ない。 だから少しだけ緒方さんに近づいて、その顔を見上げた。 緒方さんは満足そうだった。 ・・・・・・進藤のアパートに行く途中、石蹴りをした。 ボクは景品を沢山持っていたので上手くバランスが取れない。 彼は笑って、大きい方の紙袋を持ってくれた。 昔、よく友だちとこうやって石蹴りながら帰らなかった? う〜ん、私立だからか同じ方向に帰る人は少なかったな。それにアスファルトだったし。 進藤と、その友だちに嫉妬した。 何だか自分より幸せな子ども時代を送っていたような気がして。 けれど今、こうして石蹴りが出来たのだからいいかと思った。 ・・・・・・その晩、酔ったボクはそのまま緒方さんとそのホテルに泊まった。 もしかして、と思わなくもなかったけれど子どもだったボクには「まさか」という思いの方が 強くて。 慣れた手つきで服を脱がされた時突然怖くなった。 ボクは、どうなってしまうのだろう。 初めてあんなラウンジに行って。 初めてお酒を飲んで。 この上、まだ変化しろというのか。 大人の世界は魅惑的で怖い、けれどその世界に連れてこられた以上 「子ども」であってはいけない気がした。 夜景を思い出した。 美しいカクテルを思い出した。 ぴかぴか光るグランドピアノを思い出した。 そしてボクは、羞恥とその後にやってきた引き裂かれる痛みに耐えた。 ・・・・・・初めて訪れた進藤の部屋は本当に乱雑だった。 もしかして今日、と思わなくもなかったけれど、それを見ると「まずないか」と思う。 彼は「適当に空いてる所に座って」と言いながら自分はベッドに陣取った。 菓子食おう、菓子。 え、もうすぐ晩御飯じゃないのか? けちー。 いやケチとかそういう事じゃなくて。 ・・・本当は、今日はオレが勝っておまえにいい景品やるつもりだったんだけどなー。 ボクは取り敢えず紙袋を適当な所に置く。 そうすると本当に座る場所がなくなったので、荷物をまたいでベッドにのぼり 進藤の隣に座った。 いい景品って? ん〜?気付かなかった?ターコイズのな、ペアリングがあったの。 ペア、リング? その頃ボク達は、キスもしていなかった。 お互いに対する気持ちが、友情以上のものなのかどうかも怪しい、 そんなあやふやな関係だった。 ・・・そう。じゃあ、今度獲ってよ。 ボクからキスをすると、進藤は目を白黒させていた。 ・・・・・・・・・・・・ 対照的な二人の男。 どちらがいい男なのか、ボクに判断する事は出来ない。 けれどボクは進藤を選んだ。 そしてそれはきっと間違っていない。 スーツをハンガーに掛け、また温かいベッドに潜り込む。 進藤が無意識のようにボクを抱きしめる。 明日は彼もボクも休みだ。 だから、二人してあのパチンコ屋に、安っぽいターコイズの指輪を獲りに行こう。 −了− ※ここんちには大変珍しい話だと思います。 |
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